華藤えれな『欲望と純潔のオマージュ』特典ペーパー

DB「欲望と純潔のオマージュ」好評発売中!!

 まだカレルが日本に留学していたころの話である。

「京都の夏といえば、八月十六日の大文字(だいもんじ)の送り火だろ。一緒に見に行かないか、その前にどこかで飯でも食って」
 そんなふうにカレルに誘われたので、その日、蒼史(そうし)は藍色の浴衣を身につけ、彼の下宿へとむかった。
 高台になったカレルの下宿からは、あかね色の夕陽を浴びた京の街が一望できる。
 全体的に建物が低く造られている街は見晴らしがよく、しっとりとした古都の遠景が(ほのお)のような残照に美しく染められていた。
 ――わざわざ出かけなくても、ここからでも西の空に見える『左大文字』や鳥居形の焔は見えるけど……やっはり鴨川(かもがわ)まで行ったほうが、送り火の風情が楽しめるだろうな。
   そんなことを考えながら彼の部屋に行くと、カレルはまだ出かける準備をしていなかった。それどころか白いTシャツにデニム、その上にエプロンをかけ、もくもくと友禅の染色に使う染料を水で溶かしていた。
 絹糸のような金色の髪を無造作に後ろで束ね、形のいい濃紺色の目を細め、真摯な眼差しで一色一色の色合いを確かめている。
「カレル、どうする? もう出かけないと、時間なくなるよ」
 時計を見れば午後六時過ぎ。大文字の送り火は午後八時に点火されるので、十分に時間があるように思えるが、それまでに食事をすることや、鴨川の土手でビューポイントを陣取ることを考えると、すでに時間は足りないくらいだ。
「待ってくれ、この課題、色つけしないと。せっかくの染料が乾いてしまう」
 カレルが流暢な日本語でかえしてくる。その課題は、彼が大学の夏期講座で受講しているものだった。
 ハンカチほどの白い布の端と端を伸子(しんし)でピンと張り、そこに青色で輪郭を描かれた文様に色をつけていくのだ。
「じゃあ、大文字の送り火は? 食事してから鴨川の土手で見ようって約束したのに」
 戸口に佇み、蒼史は切なげに問いかけた。
「鴨川にはひとりで行ってこい。おれはこの窓から見える分だけでいいから。前に言ってたじゃないか、ここからでも、五つのうちの三つは見えるって。左大文字と船と鳥居……それだけ眺められたら十分だ」
 こちらを見向きもせず、カレルがぶっきらぼうに言う。
 蒼史はがっくりと肩を落とした。
 いつものことだが、美術の課題を前にすると、彼の視界から他人の存在は消えてしまう。
 三日前、食事の差しいれをもって訪ねてきたときもそうだった。京友禅の資料本から一瞬も目をそらさず、こちらが何か話しかけても曖昧な返事しかなく、結局、一度も彼は視界のなかに蒼史を入れることはなかった。
「また? 今夜だってカレルがどうしても行きたいっていうから、おれも出かけることにしたんだよ」
「いいじゃないか、今夜の祭は京都人にとって大切なもんなんだろ。オレに気遣わず、好きに楽しんでこいよ」
「そんな……」
 また自分勝手なことを……。三日前もそうだ。課題が立てこんでいて外出できないので夜食をもってきて欲しい、一緒に食べようというメールを入れてきたので、出先からあわてて帰って用意したのだ。それなのに無視したりして、わがままにもほどがあると思う。
 ――最終的には全部食べてはくれたけど……あれからずっと視界に入れてもらっていない気がする。…なんか怒らせること、しただろうか。
 蒼史は手にしていた紙袋をむなしい気持ちで見下ろした。
 カレルはわずか一年間だけ京都にきている留学生だ。だからその間に自分の地元のイベントをできるだけ楽しんでもらおうと思い、彼のために浴衣(ゆかた)や帯、下駄まで用意したというのに。
「……おれ、きみがいなかったら出かけようなんて思わないよ。おれ、大文字なんて子供のころから何度も見てるし、今さらひとりで行っても…」
 おもしろくないじゃないかと言いかけた蒼史の言葉をカレルがさえぎる。
「嘘つくな、イタリア野郎と一緒に行こうと約束してたくせに」
「え……イタリア?」
 わけがわからず蒼史は目を丸くした。
「この間、茶色の髪をしたトニオだか何だかという、かっこつけた染色学科の留学生と四条通(しじょうどおり)を一緒に歩いていたじゃないか。ふたりで仲良さそうに呉服屋に入って、大文字に行くための帯がどうのと話していただろ。オレはごめんだからな、あんな野郎と三人で祭を見て、おまえを共有するのなんて」
 一瞬、蒼史は小首をかしげた。四条通の呉服屋、イタリア出身のトニオ……。
「ああ、三日前のことか」
 そうだ、彼と出かけたときにカレルからメールがきたのだ。
「うん、たしかに一緒に呉服屋さんに行ったよ、あと下駄屋さんにも。あのとき……まさかカレルも四条通にいたの? たしか外出できないって…」
 あいかわらず染料に視線を落としたまま、カレルはチッと舌打ちする。
「悪いか」
 突き放すように吐き捨て、カレルはぐしゃぐしゃと水音を立てて忌々(いまいま)しそうに小皿の上で染料をかき混ぜた。勢いのあまり、何色かの染料がぱしゃりと飛び散り、土壁が汚れる。
「くそ、おまえのせいだぞ、つまんないこと、話しかけるから」
 ドンと机を叩き、カレルはようやく顔をあげた。
 突き刺すような視線で蒼史をにらみつけたカレルは、しかし次の瞬間、驚いたように目を見開いた。初めて蒼史が浴衣を着ていることに気づいたようだった。
「え……おまえ」
 藍色の地色に、撫子(なでしこ)を始めとする秋の七草と流水が繊細な文様として描かれたこの浴衣の生地は、カレルが染色の授業で初めて染めたものだった。
 これ、よかったら……と言って彼が反物をふたつくれたので、今日までに間に合うよう、自分とカレル用にそれぞれの反物をもとに縫いあげたのだ。
 尤も、時間がなかったので腰に巻いた藤色の帯は市販のものだ。この間、トニオという留学生から浴衣を買いにいくのでついてきて欲しいとたのまれ、そのときに自分とカレルの帯をついでに購入したのだが、その様子を勘違いしたのだろうか。
「おまえ……その浴衣……まさか、自分で作ったのか」
 白皙の、カレルのほおがほんの少し赤くなる。釣られたように蒼史の頬も熱くなってきた。
「ごめん……うん、試しに仕立ててみたけど……変かな」
 自分で着付けたせいか(えり)もとがうまくあわせられず、ちょっと後ろにぬけてしまったので首もとがすーすーして恥ずかしい。しかも徹夜の突貫工事で縫ったため、(たもと)(すそ)のかがり縫いが少し歪んでいる。
「すごい、あの布がこんなふうになるとは」
 カレルはさっきまでの不機嫌さを吹き飛ばしたかのように感心しながら蒼史に近づいてきた。
 どうやらイタリアの留学生とのことを誤解したのが不機嫌の理由らしく、課題に夢中になっているせいではなかったようだ。三日前の態度もおそらくそうなのだろう。
 蒼史はそのことにほっとしていた。勉強の邪魔はしたくないが、トニオとのことを誤解していただけなら、このまま大文字の送り火に誘っても大丈夫だろう。
「それで……あの……おれ、カレルにも用意したんだけど」
 蒼史は紙袋のなかから仕立てたばかりの浴衣をとりだした。そこから現れた藍色の浴衣と若草色の細帯を見て、カレルがえっと眉をよせる。
 こちらの浴衣には流水紋に夏の草花が描かれていた。蒼史のものとは夏と秋と一対になっている。
「まさか……オレに?」
 カレルが瞠目する。喰いいるように顔をのぞきこまれ、気恥ずかしくなって蒼史はうつむいた。
「あ、うん、おれが作ったから、縫い目はいまいちだけど、サイズは大丈夫だと思うから」
 そのままふわりと彼の肩にかけると、綺麗な金色の髪が藍色の生地によく映えて見えた。もともとお伽話の王子のようなカレルの風貌がさらに引き立つように感じられる。
「時間もないし、急がないとな。あ、どうしよう、オレ、浴衣の帯なんて締められねえぞ」
 あわてた様子でカレルがエプロンを首からとる。
「おれがやってみるよ」
 と言って、蒼史はハッとした。
「あ、カレル、大文字、行く気になったの?」
 思わずにこりと破顔した蒼史に舌打ちし、カレルがプイと視線をそらす。
「悪いか」

 その後、衣服を脱ぎ捨てたカレルを部屋の真ん中に立たせ、蒼史は彼の躰に浴衣を着付けた。
「……くっ……帯、苦しいんだけど」
「我慢して。腰が細くて、しかも位置が高いからちゃんと締めておかないと、すぐに崩れてしまうだろ」
 藍色のさらりとした浴衣が、モデルのような長身のカレルの体躯をよりしなやかに引き立てる。店で、一番小粋だと思って縞模様の若草色の帯を選んだが、それをきゅっと締めると、カレルの目や肌の色がとても映えるように感じた。
「どうだ、似合うか」
 帯を締め終わり、立ちあがってまじまじと見つめると、カレルは少しばかり照れたように視線をずらした。いつものクールで涼しげな雰囲気とは違い、和服を身につけると、いつになく濃密な色香のようなものが感じられた。
 ――詐欺だ……外国人なのに……こんなに着物が似合うなんて。
 思わず見入ってしまった。
 形のいいあごや首筋のライン、すらりとした体躯、何より綺麗な眸の色が浴衣の藍色とよく調和し、視線がはずせなくなってしまう。
「やっぱり外国人が着ると変か?」
 あまりにも蒼史が目をぱちくりさせているので、カレルが不安げに訊いてくる。視線が絡むと奇妙なほど動悸が高鳴り、蒼史はしどろもどろに答えた。
「あ、ううん、いい……いいよ、なんか……すごい……いつもより渋くて」
「渋いって、日本語は地味って意味だっけ? やっぱり背中に虎や昇り龍を背負ったような着物のほうがよかったってことか」
「違うよ、かっこいいって誉め言葉のひとつだよ。だいたいそんな外国人観光客むけの変な着物を着たら、カレルのセンスが疑われてしまう。日本人のおれの目にはプロレスラーのガウンにしか見えないから」
 あわててかぶりを振る蒼史に、カレルがクスリと笑う。
「冗談に決まってるだろ、このオレがそんな子供だましの着物を着たりするか。さあ、見物に行こうぜ」
 くいと手を掴まれ、蒼史はハッとした。
「……大丈夫かな?」
「何が?」
「うん、何か縫い目が変で恥ずかしくないかなって思って。それにおれとペアだよ」
 今さらながら気づいたが、男性ふたりで揃いの浴衣というのはちょっと恥ずかしいのではないだろうか。
「いいじゃないか、オレとおまえの合作だ、世間のやつらに自慢してやろうぜ」
 カレルは明るい笑顔で蒼史の手を掴んで外へと出た。男性ふたり、揃いの浴衣……というのは変かもしれないと思ったが、街ゆく人はそれを気にするよりも、綺麗な外国人がさりげなく浴衣を着ている姿に見惚(みと)れているように感じられた。>
 もともとカレルが描いた模様がとても上品なので、いかにもペアという雰囲気にはならないし、帯も模様や色を変えたので、心配するほどのことはなかったらしい。
「いいな、この下駄の音。オレも日本人になったみたいだ」
 からんと下駄の歯を鳴らし、カレルが裾をからげながら往来を闊歩(かっぽ)する。楽しそうにしている姿に、蒼史の口もとからも自然と笑みがこぼれた。
 ――ホッとする、カレルの機嫌がなおると。トニオとのことが不機嫌の原因でよかった。
 蒼史は他の留学生に親切にし過ぎだ、便利屋にされている、利用され、損しているみたいでムカつく――というのは、彼の口癖だ。
 たしかに仕事以上のことをしてしまっているのは自覚している。でも性分なのでどうしようもない。今さら仕事の姿勢を変えるわけにもいかないし、カレルの言うとおりにしてしまったら、慕ってくれている留学生たちに不快感を与えかねないだろう。
 ただそのことを彼がちょっとばかり叱ってくれるのは決して嫌いではない。むしろ自分のことを案じて言ってくれているのだとわかって、じんわりと胸の奥があたたかくなる。
「どうした?」
 横顔をじっと見ていると、彼が片眉をあげる。
「ううん、何でもない。浴衣の着心地、どう?」
「最高。空気が通りぬけて涼しいし、躰にもよく馴染む」
「よかった」  
 彼に喜んで欲しくて何日も徹夜して浴衣を縫ったのだが、彼がうれしそうに身につけてくれて蒼史の心も明るくはずむ。
 カレル・バロシュ。チェコからきている年下の留学生。彼とはこうして何かあると一緒に出かけ、何度か躰をつなぎあわせるようなことをしてきたが、決して恋人同士というわけではない。あえていうなら、彼の一時的なセフレというか、ご当地限定の相手というか。
 カレルはもうすぐ母国のチェコに帰ってしまう。自分との関係は、短い留学生活での仮初めのものだというのはわかっている。
 本気で好きになってもむなしいだけとわかっていても、こんなふうに無邪気に喜んでくれる姿を見ると、ますます彼が好きになってしまう。
 あと数カ月なのに……。
 でもあと数カ月だからこそ、彼と一緒にいる一瞬一瞬がとても大切で、とても愛しいものに思えてくる。彼と揃いの浴衣を着ること、彼と大文字の送り火を見ること……そのすべてが生涯に一度しかない、たった一度たけのことだというのがわかっているから。
 そのまま坂道を下り、バスに乗って鴨川の土手のほうまで行くと、すでにそこは歩行者天国になり、大勢の人々でごった返していた。
 ――すごい人……なんか熱気にあてられそうだ。
 今夜は立っているだけでも汗が噴きだしそうになるほどの熱気だ。京都の夏は湿度が高くて有名だが、見あげると、カレルのこめかみや額にも汗がにじんでいる。
「蒼史、なに、食いたい?」
「……何も……人混みと蒸し暑さに圧倒されて……食欲…なくなってしまった」
 食欲どころかあまりの暑さにくらくらして目眩までしてきた。昨日、徹夜で浴衣を縫っていたせいかもしれない。
 急に目眩がして、蒼史はカレルの腕を掴んだ。
「おまえ、地元の人間なのに、躰、弱いんだな」
「ごめ……急に気分が」
 だめだ、せっかく楽しもうと思ってここまできたのに……。
「アイスでも食べる?」
「ううん、いい」
 蒼史は口もとを手で押さえ、そのまましゃがみこみそうになった。
「じゃあ、少し休もうか」
 カレルはふわりと蒼史の躰を抱きあげた。一斉にまわりの視線がふたりに注がれる。それでなくてもモデルのような肢体に浴衣を纏ったカレルの姿は、そこにいるだけで人目を奪うらしく、観光客の視線が自然と彼に集まっていたのに。
 そんな大勢の人間の目があるなか、いきなり抱きあげられ、蒼史の頬はカッと熱くなった。
「な、何するんだよ……こんなところで」
「具合が悪いんだろ。人目なんて気にするな。恥ずかしいなら、目を(つぶ)ってオレにしがみついてればいいから」>
 カレルは悪びれもせず、蒼史を抱きあげたまま人混みを縫うように進んだ。
 ――カレル……。
 彼の大胆な行動に羞恥をおぼえながらも、蒼史は彼にうながされたとおり、まぶたを固く閉ざし、カレルの胸に頬をあずけた。
 ふわりと首筋を撫でるカレルの吐息。背中や肩をしっかりと抱きあげる彼の腕のたしかさに、少しずつ目眩がひいていく気がした。
「ごめんね……せっかくの夜なのに」
 ぽつりと呟くと、躰を抱く彼の腕に力が加わる。
「別にオレはいい。おまえこそ大丈夫か?」
「うん……少しずつよくなってる」
「なら安心だ」
 闇に包まれた鴨川の土手にぞろぞろと人が集まっていく。その波に逆らうようにカレルが進んだ先は、彼の下宿だった。

 うっそうと木々が茂り、秋を予感させる虫の音が降るように鳴く庭を抜け、蒼史を抱いたまま、彼は下宿までもどってきてしまった。
「やっぱりここからふたりで送り火を見よう」
 冷房をかけ、窓辺に蒼史を座らせると、カレルはカーテンを開けた。冷たい水を渡され、それを喉にそそぎこみ、気分を落ち着ける。
「ごめん……まさか具合が悪くなるなんて」
 帰ってきたとたん、さっきまでの目眩は消え、すっきりとし始める。
「すごい人だったからな。あのとき、真っ青な顔してたけど、もう平気そうだな」
 蒼史の横に腰を下ろし、カレルが長い指で髪をかきあげてくる。
「うん、ここにもどってきたら、急に気分がよくなってきたよ。人の多さに酔ったのかもしれないね」
「おまえ……無理して、浴衣、作ってくれたんだろ。この反物、仕上げたのって先週だし、縫うのに一週間もかけてないんだろ」
 あきれたように言うカレルに、蒼史はうつむいた。
「ごめん」
「何でおまえが謝るんだ、謝るのはオレだ。せっかく作ってくれたのに、おまえに機嫌の悪い態度をとって」
 蒼史のあごを掴み、カレルが顔をのぞきこんでくる。
「いいよ、気にしてないから」
「おまえのそういうとこ、すごく好きだけど……ちょっとムカつく」
「何で?」
「おまえ、オレを無駄に甘やかし過ぎ」
 そう言って蒼史の頬にキスし、カレルが抱きよせる。
「……ん……」
 胸の圧迫感。カレルの体温が浴衣の粗い布伝いに感じとれる。
「ここでしていい?」
「え……」
「もう具合、よくなったんだろ?」
「カレル……っ」
「欲しいんだ、抱きあげたときからずっとそのことばかり考えてた」
「抱きあげたときからって」
 あわせから入ってきた手に衿をくつろげられる。窓辺に押しつけられ、肩口まで浴衣を剥かれ、狂おしげに皮膚をまさぐられ始めた。
「……っ……ん……」
 浴衣の裾から入りこんできた手に下肢をさぐられる。彼の手に触れられるや否や、そこがすぐに形を変え、恥ずかしさのあまり頭まで血がのぼりそうになった。
「よかった……おまえも欲しがってる」
 きゅっとにぎられただけで、腰のあたりにむず痒い痺れが広がる。
「そんなこと……口にしないで」
 もぞもぞと腰をずらし、蒼史はそこから衝きあがる熱に耐えようとした。
「いいじゃないか、本当のことなんだし」
 しかし羞恥のあまりよけいに敏感になり、カレルの手に包まれたそこからしとどに蜜が滴り落ちてしまう。すでに彼の手は蒼史のものでとろとろに濡れている。
「あ……っ……っ」
 緩急をつけて前の性器を扱きながら、カレルが別の手で奥の窄まりを広げようとする。
「んっ……やだ……」
 奥まった部分にするりと入りこんでくる指の感触。襞のすきまを縫うように進み、感じやすい部分を指の関節で刺激されたとたん、カッと甘い衝撃が走り、蒼史は土壁を爪で掻いた。
「んん……っ!」
 あまりの快感に今にも吐きだしそうになる。だが、カレルの指にそれを止められてしまう。性器の先端の窪みを親指で押さえつけられ、蒼史は泣きそうな目でカレルを見た。
「カレル……お願い……達かせ……て……」
「ダメだ」
「……っ……ひど……どうして」
「もうあのイタリア野郎と二度と出かけないと誓え」
 さっきまでの優しい声音から一変し、冷たさを孕んだ声で言われ、蒼史はびくりと肩をすくめた。見れば、青い目がまっすぐこちらの目をのぞきこんでくる。
「でも……彼は大学の学生で……」
「あいつはダメだ、この間、出かけたときにおまえの肩に手をかけ、何かあるたびに耳もとで囁いていた」
「なんでそれを……」
 たしかにイタリア人らしく、甘い言葉を囁いてきたが、外国人らしいなと思った程度で何も気にしていなかった。
「どうせ、きみの眸は世界で一番美しい夜空だとか、こんなに美しい宝石はこの世にはないとか言われたんだろ」
「どうして知ってんの?」
 驚いて問いかけると、性器をにぎる手に強い力が加えられた。
「う……やめ……カレル……っ」
「いやなやつだ。おまえもおまえだ、イタリアの男に笑顔を見せたりするな」
「あれは……職場の大事な学生で……カレル……心狭すぎないか」
「おまえの心が広すぎるんだ。親切にしていい外国人はオレだけだ、いいな」
「それは無理……おれは…留学生の……」
 世話をするのが仕事で……と言いかけた刹那、グイと足を広げられ、腰をひきつけられた。
 猛々しい塊が濡れた蕾に触れ、ぐぅっと肉を広げてめりこんでくる。
「う……っ……く」
「……いいな、約束しろ」
 足を両肘に抱えられ、そのまま一気に貫かれた。互いの浴衣がはらりと腿の付け根までまくれあがり、ふたりの腰と腰とが密着する。
「あぁ、あぁっ……くぅっ……んんっ、熱っ……」
 夏の初め、土をいじっているときから始まったふたりの濃密な関係。それからまだ少ししか経っていないのに、もう何度躰をつないだことだろう。
 ぐいぐいと容赦なく内臓へ(えぐ)りこんでくる肉塊。すっかり馴染んでしまった彼のものが体内を埋めつくしていく。その猛烈な快感と浄福感。
 蒼史はたまらず彼の背に腕をまわした。
「……あっ」
 帯の結び目が土壁にこすれて腰が痛む。だが感じやすい粘膜を荒々しくこすられ、抽送を繰り返されるうちに痛みを忘れ、快感のなかに溺れていく。
「ん……っん、んんっ」
 唇を吸われ、深い肉の奥を抉られ、窓を背にゆさゆさと揺らされている。
 すーっとそのとき、漆黒の夜空にうかびあがる「大」の字が見えた。
 京都の夏を彩る焔の文字。今まさにそれが燃えさかろうとしているのを感じながら、蒼史はカレルの背に爪を立てていた。
「いいな、おまえは……オレだけに親切にするんだ」
 なおも耳もとで囁くカレル。
 ――そんなの……できないに……決まってるじゃないか、きみひとりだけに親切にすることなんてできない。それはおれの仕事なんだから。
 そう答える代わりに、彼の動きに身をゆだね、夜空に燃える焔に視線をむける。
 カレルだけに親切にすることはできない。でも、あそこに灯っている焔のように……そう、火のような熱さで求めてしまうのはカレルしかいない。
 それを口にしたかった。それほど、カレルが好きだと伝えたい。
 けれど……言葉にすると、もっとカレルのことを好きになり、もうまもなくやってくる別れに耐えられなくなりそうな気がして、自分の想いを口にすることはない。その代わりに、こうして躰をつなぎ、夜食の差しいれをし、京の祭を案内し、浴衣を縫い、カレルが喜ぶことだけをしていこうと決意している。
「カレル……もっと……そこ……そう……」
 彼の首に腕をまわし、蒼史はその動きに従った。
「なんで約束しない」
 切なげに問いかけられ、蒼史はふっと微笑した。
「約束する……カレル以外とはもうどこにも……出かけない…と…」
 そう言うと、彼はほっとしたような顔で唇を重ねてくる。唇も、指も、そして躰も……すべてが彼に熔けていくような気がした。
「やっぱり……おまえ、オレを甘やかしすぎ……」
 自分のわがままをどれだけこちらが聞くのか、それを試しているのか、楽しんでいるのか。
 でもカレルが喜ぶなら、好きなだけ彼の喜ぶことがしたい。それを甘やかしすぎだと言うならそれでもいい。カレルが好きだから。好きすぎて苦しいほど。
「おれ……わがまま……聞くの、カレルだけだから……」
 ぽつりと出た言葉。カレルはじっと蒼史を見たあと、ふっと艶笑を見せた。
「オレも……わがまま言うの、おまえだけだから……」
 カレルは愛しそうに蒼史の頬に唇を近づけてきた。
 こんな時間がずっと続けばいいのに……と思った。好きだという気持ちを告げなくても、想いが少しずつ縒りあわさっていくような、そんな時間が。
 でもそれは彼が留学している間の儚いひとときでしかない。
 そう思ったとき、視界のなかで燃えていた焔がすーっと夜の闇のなかに消えていくのが見えた。
 短い夏の夜、短い焔の送り火。
 あの焔とともに京の街も少しずつ夏から秋へと変わっていく。
 同じように自分たちの短くも楽しい時間がもうすぐ終わりになるのを感じながら、蒼史は、甘く狂おしい時間を惜しむようにカレルの腕のなかで身悶えた。
 生まれて初めて好きになったひと。
 もうまもなくカレルの留学期間が一年を迎えようとしている。ふたりの時間の終焉を目の前にした、短い夏の夜のことだった。