5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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第三幕 目

 正式に軍の参謀本部の一員となって半年が過ぎた。シアンはまた戦場にいた。半年前にサルタイアーの侵攻を許した東方の街を奪還するための作戦を指揮していた。
 近衛からも小隊が送り込まれ、そのうちのひとつを率いていたのはアージェントだった。副隊長に昇格し小隊長を任されている。
 気分が悪かった。一ヶ月のあいだに繰り返された作戦の数々は出来すぎなほどうまくいっており、あと少しで敵の主力部隊を滅ぼすところまで追いつめていた。それでも気持ちは晴れない。息を吐いて、席についた者を見まわした。
「作戦を見直しましょう。二隊同時に攻撃をしかけるのは止め、合流させます。今のままでは、どちらかの隊が崩されたら、全滅する可能性があります」
「もう伝令を放ったあとだ。今さら変更などと、夜明けの作戦開始に間に合わない」
「導入したばかりの合図があります。火薬を詰めた筒を使い、打ち上げた(せん)(こう)の色と回数で指示をします。地形を考えてもどちらの隊からも確認できるでしょう。すぐに合流に適した地点を割りだし連絡させます」
「撤退するということか!? 敵の本隊を挟み撃ちにできるかもしれない万に一つの好機を前にして、兵たちが退却など納得するはずがない!」
「兵の納得など意味がありません」
「なにを……」
「兵は指示に従わせるのです。そうでなければ私たちがいる意味などない。無駄死にさせたくないのなら『万に一つの好機』などという(あい)(まい)な想像は捨ててください。今の状況は私が立てた作戦の結果にすぎません。その結果を生んだ思考が攻撃すべきではないという結論に達したのです」
 シアンは立ち上がった。
「ふたつの騎兵隊を見殺しにしたいのなら、先に私を殺してください。このまま無謀な策を遂行させれば精鋭と言われる小隊は失われる。そうなれば、街を取り戻すことなど不可能です。そのような失策を犯すくらいならば死んだほうがましです」
「馬鹿らしい! 青の学士だかなんだか知らないが茶番に付き合っていられるか!」
 一人が机を叩き部屋を出て行ったが、あとの者は静まり返った。はったりが通じた。表情には出さなかったが胸をなでおろした。すぐにこまかな指示を出しはじめたが内心では複雑だった。激高した男が言うとおり、確かにこれはまたとない好機だ。
 強引に馬の向きを変えさせられた小隊長が不満に思うのは目に見えていた。アージェントがどのような顔をするのかも簡単に想像がついて、身震いしそうになった。
 新しい作戦を伝えるために数人を連れて馬を走らせた。連絡役を送るよりもシアンが合流地点に向かい説明するほうが早かった。それに、他の誰かに任せるわけにはいかない理由もある。
 空が白み始めた頃、森にたどり着いた。
 まず、今にも崩れそうな石造りの壁が目に入った。もとは教会だったのか朽ちた壁には神の肖像の名残りがみてとれた。
 屋根はなく、床はかろうじて残っているがひび割れた隙間からは草がのぞいている。兵たちは雨避けの布を張った下で仮眠を取っていた。
 近衛だけではなく軍の師団も率いていたので大所帯だ。布からはみ出した場所で壁にもたれかかって眠っている者もいた。アージェントは起き、遣いを待っていた。
「もう一隊はどうしましたか?」
 シアンが尋ねると、「少し離れたところで待機している」と思いのほか静かな声で返事があった。軍に入って以来、王宮を訪れることはあったが、言葉をかわすのは久しぶりだった。
「新しい作戦を指示する前に聞いていただきたいお話があります」
「初めて気が合ったな。来い、シアン」
 あとをついて森の中に入った。高い位置で濃い緑が生い茂っているので、分け入るほど暗くなっていく。火筒を持ってくるのを忘れたため、シアンは足元を邪魔する木の根に目を凝らした。
 野営地まで声が届かないところまで来ると、前を歩く男の背に話しかけた。
「あの陣形に至ったのは挟み撃ちを意図してではありませんでした。前の作戦が終われば二隊の合流を考えており、無理のある作戦だと判断したため元のやり方に戻しただけです」
「敵に新しい動きがあったわけではないんだな」
「不満を感じられるのはわかりますが……」
 言い終わる前に大木の幹に押し付けられた。背中に揺れが伝わり、遅れて葉が数枚ふりかかった。
「当初の作戦などにこだわるよりも戦局を見て判断しろ!」
「確実だとは思えなかったから兵を引かせました! それのどこが間違っているのです。無駄な死を見るのはもうたくさんです」
「臆したか? 戦線を離れ、王都へ戻れ」
「臆していたら兵を引かせるなどという指示は出しません。無理に作戦を変えることによって、私はあなたたちに下す新しい指揮の全責任を負います。この後に死ぬ兵はすべて私の作戦の犠牲者となるのです!」
 顔を上げ、睨みつけた。シアンの胸元を締め上げている男の手首をつかんだ。
「近衛副隊長の失敗はシャーの名にもかかわる。あなたも望むところではないでしょう」
「脅しか、シアン。本当にエールのためだと言うのならこの機を逃すべきではなかった。勢いに乗り街を奪い返せば、またとない追い風になるはずだった。本隊さえ壊滅させれば兵をヴェア・アンプワントまで押し進められたはずだ」
「では、あなたは作戦に不安はなかったと言い切れるのですか?」
「どういう意味だ」
「私に作戦の変更を思い切らせた最大の不安要素はあなただ」
 アージェントはわずかに眉をひそめ、()(げん)そうな表情を浮かべた。
 半年前、思わず目をそむけたくなった青い(そう)(ぼう)を、今度はのぞき込んだ。
「王都の医師から話を聞き出しました。視界の左半分が見えないそうですね。明るさに慣れるまでに時間がかかり、朝方は特に光を強く感じる傾向にある。挟み撃ちは夜明けに決行予定でした。あなたの隊は潜んでいた場所から(あさ)()に向かって馬を走らせることになる。まだ、ご説明が必要ですか」
 返事はなかった。
「ここまで追い込んだだけでも奇跡だと言われています。アージェント様の隊の働きは抜きんでていた。ただそれはすべての作戦が夜に行われたからだ。あなたは気配に敏感で戦術にも()けている。けれど、奇跡などに兵の命を預ける真似を、私はしたくありません」
 反論を待ったがアージェントはゆっくりとシアンから手を離した。小さな声で「相変わらず頑固で、潔癖だな」とつぶやいただけで、隠れて医師と連絡をとったことを咎められはしなかった。
 これまですべてが想像でしかなかった。医師に言われても信じられなかったが、アージェントの態度でそれが真実だとようやく飲み込めた。
 左側が見えない。その状態で馬に乗り、隊を率いて複雑な地形を走らせる。そんなことが人にできるものなのだろうか。思わずまじまじと見つめてしまうと、アージェントは視線に気づいた。
「小隊長の退任を言い渡しにきたのか」
「……私にその権限はありません。それに目のことは他の誰にも言っていません」
「自ら降りろと言われても従えない。東方からサルタイアーの軍を退けるまでは、視力のことを知る者をこの場で殺して埋めてでも地位を譲り渡すつもりはない」
「あなたが指揮する兵たちは? 巻き添えにするのですか」
「あの隊には、俺とともに死んでもらう」
 やっぱり悪魔だ。暗がりの中でシアンは絶望を味わった。
 この男は、ほんの少しでも心がゆらぐことはないのだろうかと疑問が頭をよぎった。
 人は誰しも自分のためだけに生きている。大切に思う者にしあわせになってほしいという願いを抱いても、すべてを犠牲にすることはできない。
 医師から、いずれは何も見えなくなると説明された時、シアンはそれが自分のことでなくても衝撃を受けた。
 それなのに、アージェントは目が見えなくなってしまうその時までエールに尽くし、必要であれば彼のために命を捨てようとしている。同じことを、シアンにも兵にも押しつけようとしている。王のために命をかけることを当たり前のように言う。
 そんなことができるのだろうか。狂気のような愛情を、少しも不思議に思わないのだろうか。シアンは、そんなものが存在すること自体が不思議でならなかった。
「あなたは哀れだ」
「そうでもない。俺が死ねばおまえは王宮に戻る。おまえがエールを守れ」
「シャー以外に、心を動かされることはないのですか」
 アージェントはまばたきさえしなかった。答える気もないようで、それが強いのか弱いのかシアンにはわからない。
 手を伸ばした。男の心臓にふれると静かに脈打っていた。けれど、その音すら信じがたかった。信念と呼ぶものを持つ者は(あま)()いるだろうが、他のことに一切、心がゆらがない人間などこの世にいるはずがなかった。
 ゆらがず、弟のことだけを想う化け物を恐ろしく思った。近衛兵であることをしるした青い胸章を睨みつけ、てのひらでぐしゃりと握りつぶした。
「私があなたの『目』になります」
 取り返しのつかない道に、踏み出した。
「見えない左側をあなたの代わりに私が見ます。地形も敵の数も相手がどう出るかまで私が予測し、あなたに伝えます。私なら、目で見るよりも多くの情報を与えられる。それでも足りなければあなたの横を馬で駆けます」
「必要ない」
「必要だと、すぐにわかる。あなたを、私が勝たせます」
 声が震えてしまわないようにゆっくりと宣言した。アージェントは「同情しているのか?」と言った。
「これは、あなたのためなどではない。アジュール王のためになると思うからやると言っているのです。私がかならず、青の王をパーディシャーにしてみせます。あなたは私の言うとおりに戦い、青の王のいしずえとなって死ねばいい」
 手が震えた。一番近い感情は怒りだろう。心臓がうるさく鳴って破裂しそうだ。
 足元に這う木の根を薄い光が照らした。白っぽい柔らかな朝陽だった。顔をあげる。アージェントは、エールを褒めた時にだけ見せる笑みを浮かべてシアンを見下ろしていた。


「また王宮へ行くのか」
 声をかけられて、シアンは振り向いた。そこに立っていたのは黒髪に黒目の男だった。髪が伸びていたが見間違えるほどではなかった。
「ブロイスィッシュブラウ副団長。私になにかご用ですか」
 自信にあふれた表情をしていた男は、わずかに戸惑ったようだった。
「オレのことを知っていたのか」
「軍に属するすべての兵の名と顔は覚えています。肩の傷は大丈夫でしたか」
「今さらな心配だな。お嬢ちゃんこそ、折った脚は平気だったのか」
「あの時は助かりました」
 儀礼的に言っただけだが、相手は驚いたようだった。
「今日はずいぶんと殊勝じゃないか。巻き込まれたせいでいったい何人が降格になったと思っている。まさか、平然とした顔で軍に来るとは思わなかったぞ」
「あなたは大丈夫でしょう? 諸侯のご子息であれば降格とは無縁。特別扱いされたはずです」
 嫌味のつもりではなかったがブロイスィッシュブラウは顔をゆがめた。東方の常駐兵だったのに、王都の所属に配置換えされたことは知っていた。めずらしい異動も彼自身の望みで、一族の力でかたをつけたと言われている。真実かもしれないなと男の表情から読み取ったが、シアンも詳しい事情は知らなかった。興味もない。
「あの件でなにか言いたいことがあるのでしたら……」
 ブロイスィッシュブラウは片手を上げてシアンの言葉を遮った。
「言っておくが、あの時のことを根に持って呼び止めたわけじゃない。兵の中には軍の名誉を傷つけられておまえを憎む者もいるが、オレはそうは思っていない。民間の女を襲っていた連中は軍の恥だ」
「私も自分が悪いとは思っていません」
「そ、そうか。この後、兵の連中と街に出かけるんだがおまえも一緒にどうだ」
 シアンは内心で首を(かし)げた。言葉の裏をさぐりたくなるほど不自然な誘いに思える。シアンは軍の者たちとまったく馴染んでいなかったし、参謀本部の者からさえ誘いを受けたことはない。
「〈青の学士〉なんだろう。オレはずっと東方勤務だったから知らなかったが、王都では有名らしいな。仲間内でもときどきお嬢ちゃんの話になって……」
「酒の席で見世物になる気はありません」
「いや、見世物というわけでは」
「お嬢ちゃんという呼び方も不愉快です」

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