5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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 目の前にいた男は、のどもとに剣をつきつけられて、動きを止めた。
「女を解放しろ」
「……ハハッ、思い出したぞ。おまえ、昼間に騒ぎを起こした兵だな。ずいぶんと上官に気に入られているらしいじゃないか。男にケツをふっているような男に同情されたところで、女たちも救われないな」
 くだらない言いがかりだった。
「王の兄に身体で取り入り、近衛への入隊を認められたんだろう」
 虚をつかれた。両側から()し掛かられて地面に転がった。剣を取り上げられる。興奮した怒鳴り声とともに、足首をつかまれた。
 くちを開けば余計に彼らを(あお)ることになるのはわかった。それでも、腹の奥が怒りにふくらみ、叫びたくて仕方がなかった。
「ぎゃ……!」
 身体を押さえつけていた力が弱まったかと思うと、どす黒い血が飛び散った。腕を切られた男の叫びが轟いた。女たちのかすかな悲鳴が混じる。それほど、おびただしい量の出血だった。
「シアン、立て」
 見上げると、かたわらにアージェントが立っていた。急に現れた男に、他の者たちは呆然としていた。
「行くぞ。くだらぬことに巻き込まれるな」
 乱暴に胸元をつかみあげられ、外に放り出された。
 アージェントは剣についた血を払い落としただけで、それ以外のことなど目に映らなかったかのように、建物から出た。中から呼び止める声さえなかった。
 シアンはほとんど引きずられるようにして、その場を離れることになった。
「……待ってください。女性たちが、まだ」
「おまえには関係のないことだ」
「まさか、助けないのですか? 信じられない」
 アージェントは足を止め、振り返った。
「身を守るすべを身につけるまでは、気を抜くなと言っただろう。早くスクワルのところへ戻れ」
「私は、誰にも助けてくれなどと、頼んでいません!」
 たった今、助けられた身であることをふいに思い出した。
 冷たい指先に力を込めると、頭がはっきりした。腕をつかんでいた手が放され、かわりに胸元に押し付けられたのは、短剣だった。
 よく見れば、それはシアンのもので、男たちに取り上げられたはずの剣は血で薄く汚れていた。武器を手にして、ようやく身体のこわばりが解けた。柄を握り、鞘におさめる。
「あの女たちは、屋敷でかわれていた奴隷だ。避難勧告で家主が逃げ、捨てられた。行くあてもない。今夜、おまえが助けたところで明日には殺される運命だ」
「殺されるから、(もてあそ)ばれても仕方ないとでも言うつもりですか?」
 それでは、あの男たちとなにも違わない。
 自分と同じ青い瞳が、ひどく酷薄な色をしているように思えた。
「奴隷を『人』として扱わないおまえが連中を批難できるのか。捕虜から思考力を奪い、兵に仕立て上げる策を提案したのは、おまえだろう、シアン」
「それは……」
「必要性は俺も認めている。目的のために非人道的な策を押し通そうとするやつが、奴隷の扱いをまのあたりにしたくらいで、今さらゆらぐなと言っているんだ」
「ですが、それとは……状況が違います」
「状況? 女と男とでは話が違うとでも言うつもりか? おまえがたった今、連中の慰みものにされそうになったように、この国には弱者と強者がいるだけだ。飾りにもならない正義感に振り回されるな」
 さきほどの光景を思い出すだけで、苛立ちがあふれてくる。アージェントの言葉は、その苛立ちをさらに煽った。
「連中のしていることを見て見ぬふりしろと、おっしゃるんですか」
「聞け、シアン」
「私にはできません! あんな行為を見逃すことは……」
 胸倉をつかみあげられた。
「おまえが望むものは軍の増強だろう。騎馬団とやりあったことが公になれば、軍と近衛の連携は台無しになる。これ以上、ことを荒立てるな!」
「ですが!」
「泥をかぶる覚悟もないのに、軍事にくちを出していたのか? 自分の意見を押し通すことが快感だったからか? おまえの自己満足の責任を負うのは、誰だと思う。国益よりも自らの正義を優先させたいのなら、おまえは側近にも近衛にも向いていない」
 火が消えるように、アージェントの目からは色が失われた。失望、という感情が自分に対して向けられるのを、シアンは初めて経験した。
 マギから憎しみのこもった目を向けられることはあったが、それは同時にシアンの才能を(ねた)むものでもあった。興味が失せた、と言われたことはなかった。恐ろしくはないのに身体が震えてしまうほどの焦りをおぼえた。
「ことを荒立てたくないのなら、どうして今夜、私を助けたのですか」
 アージェントの腕をつかんだ。無意識に強い力で握りしめていた。
「あなたはシャーのことしか考えていない。関わる者すべてを、シャーの役に立つか立たないかでしか判断していない。私を助けたのも、近衛に誘ったのも、すべてシャーのためだ。私がただの兵だったら、連中に襲われ殺されかけたとしても、助けるつもりなどなかったということですね」
「見込み違いだった」
 予想どおりの答えだったのに、心は大きくゆらいだ。
 シアンの意志など初めから求められていなかった。代わりのきく駒としか思われていないのに、アージェントに引きずられて、厳しい訓練に耐えてきた。
 エールのための訓練だと思っていた。今でもそう思っている。彼のために優秀な側近になるのだと誓った。それでも、ここまで()()にされて許せないという思いが胸にわき上がった。炎のように身体の内側を焼いた。
 つかんでいた男の腕を離した。
「都合のいい、人形にはならない。私は私の方法で、アジュール王に尽くす」
 シアンはもと来た道を走り出した。
 悲しくもないのに鼻の奥が熱くなった。涙は浮かばなかったが、こめかみがきりきりと引き絞られて痛かった。
 呼び止める声が聞こえた。アージェントのものではなく、兵だった。彼らの先頭は黒髪の男で、シアンと目が合い、またなにかを言おうとした。
「ついて来い!」
 シアンは怒鳴って、再び先程の建物に飛び込んだ。剣はすでに抜いていた。急所をさらした獣など、いくら数が集まったとしても怖くはなかった。
 アージェントは『飾りにもならない正義感』と言ったが、正しいと思うことを行っても確かに気持ちは晴れなかった。けれど、自分に失望するよりはずっと良かった。


「シアン、具合はどうだ」
 部屋に現れたのはスクワルだ。中をのぞくなり「相変わらず、汚い部屋だな」と呆れたようにつぶやいた。顔に似合わず綺麗好きなところがある男なので、本の山が崩れかけ書き物の散乱した部屋に眉をひそめるのも無理はない。
 部屋からほとんど出ていないので、これまでにないほどの散らかり具合だということはシアンも認めている。寝台から立ち上がり、床に積んだ本をよけたが椅子のところまでたどり着けそうもない。
「いいから座ってろ。俺はそのあたりにでも……いや、やっぱりここでいいか」
「上官を立たせて、私が座っているわけにはいきません。謹慎処分中であるとはいえ、けじめは必要です」
「脚は?」
「ただのヒビです。たいしたことはなかったのでもう歩けます」
「そうか。だが立つ必要はない」
「礼を尽くす必要がないということは、私は近衛を除隊させられるのですか」
 スクワルはため息をついた。シアンの語気の荒さをなだめるように優しく「あきらめてくれ」と言った。
「おまえが悪いとは俺も思っていない。あいつらは軍規で裁かれ有罪となった。だが、重傷者を出すほどの騒ぎで、おまえに加勢した兵にも怪我人が出た以上、誰かが責任を取らなくてはならない」
「承知しています。ですが納得できません」
 (また)ぎきれなかった本を踏みつける。廊下までたどり着いたがスクワルに止められた。
「今さら行っても遅い。決定事項だ」
 八つ当たりをしても仕方がないが、片腕で進路を塞ぐスクワルを睨みあげた。
「あきらめて、近衛を退任してくれ。来週からは俺と軍で働くことになる」
「……は?」
「すぐに耳に入るだろうから言っておく。処分が下ったのは、小隊長を務めていた俺とおまえのふたりだ。軍で雇ってもらえるだけましだから、文句は言わない。おまえも言うな」
「……私のせいで」
「謝るつもりなら悪いことをしたと認めてからにしろ。おまえが証人だと言い張り連れてきた女たちは、王都の奴隷商に引き渡された。それが幸福かはわからないが少なくとも生き延びた。満足か?」
 答えられなかった。スクワルは「とにかく、兵を続けるつもりがあるなら部屋を片付けて荷造りしておけよ」とだけ言うと部屋を出て行った。

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