5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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 初めて王宮にやってきた時のようにわんわんと泣くので、誰も彼らを引きはがすことができなかった。


 シアンは足音をたてないように、そっと訓練所に入りこんだ。
 長い袖の下には、短剣を仕込んでいる。シアンは逆手に柄を握りしめて、汗をかいていないことを確かめた。
 深夜の暗闇の中、目を凝らす。ひとつの部屋に十人ほどの兵が眠っていた。個々に与えられた、粗末な寝台に横たわっている。
 腹の上にかけられた、薄いシーツが上下していて、彼らがぐっすりと眠っていることがわかった。いびきをかく者がいたので、小さな音をたてたくらいでは気づかれないだろう。
 シアンは息をひそめたまま、アージェントの寝台に近づいた。
『田舎から来た、ガキの王だ。飾りにもならない』
 それが、吹っ飛ばされた大男の言葉だった。エールを悪しざまに言い、『今のうちに別の王に(くら)()えしたほうが、いいかもしれないぞ。青の宮殿じゃあ、出世したところでたかが知れている』と、笑ったという。
 その男は入隊試験の時からその調子だった。だが一番の成績でくぐりぬけ、鍛え上げられた自慢の体躯は周りに()()を与えていた。本来であれば、任命式に集められた兵たちは背中で腕を組み、無言で上官を待たなくてはならなかったが、男の(はっ)()に他の者が賛同し盛り上がりはじめてしまった。
 そうして、その中でひとり姿勢を崩さないアージェントに、男は絡んだ。
 アージェントは口数が少なく目立つ存在ではなかった。一番若く、上背はあっても兵の中では細かった。だから、大男も油断したのだろう。防御の構えをとるひまもなく宙を飛んだ。
 任命初日にして、すでに除隊の危機とも言えたが、スクワルがそれをかばった。いわく、のされた男の言動は試験監督をしていた自分の目にも障ったと。
 そしてもちろん、エールも兄が追いだされるのを嫌がった。
 必死になって側近を説得し、頭まで下げるのを見て、シアンの苛立ちは募った。エールに迷惑をかけるなんて、臣下として許しがたい。そう、ありえないことだ。
 シアンは短剣を取り出して、両手で握りしめた。狙いを定め、眠っているアージェントの無防備な左肩に突き立てようと、振り下ろした。
 瞬間、シーツがばさりとめくれあがった。身体に巻きつくと同時に、強い力で寝台に引きこまれる。
 手首をつかまれ、頭の上で押さえつけられた。さらさらした金髪が、シアンの顔にかかった。
「なんだ、()()いか」
 脳裏にしか存在しない本の山から、『夜這い』の意味を探そうとしたが、めずらしく頭が働かなかった。
 アージェントが目を細めて、にやにやと見下ろしている。恐ろしさが、寒気のように背筋を駆け上がった。ぞっとして、「スクワル、早く来てくれ!」と助けを求めた。
 部屋に明かりがともされた。アージェントは、スクワルを見ると、「手荒い歓迎だな。それとも、これが近衛の二次試験なのか」と言った。
「いつ気づいた? 知った気配で気取られないように、近衛以外の者を使ったのが、無駄になったな」
「数名は寝たふりだ。眠っている時と、目覚めている時では気配が違う。奇襲をかけるなら、誰にも知らせるべきじゃなかったな、スクワル副隊長」
 上官に向かって生意気なくちをきいた。
「それで、俺は合格なのか?」
「……ああ、明日から、シャーの警備につくことを許可する」
 スクワルは苦笑した。
 話が済んだなら、退()いてくれてもいいだろう。じたばたと手足を動かすと、アージェントが「これは?」とシアンを指差した。
「青の侍従のシアンだ。シャーの護衛をつとめるのなら、顔を合わせることも多くなる。前代の青の王の息子で、まだ幼いが王宮きっての学士として名高い。いずれは側近になるだろう」
「ふん、このひょろっこいのがか」
 青色の瞳でのぞきこまれる。やはり身がすくんだ。アージェントは、両手をシアンの顔の横についた。
「うまそうな気配がする」
 舌()めずりでもしそうな、捕食者の気配だった。危険だ、と本能が強烈に告げる。
「早くど……うわっ!」
 脚の間にひざを割り入れられた。
「王宮に来てから、長らく女を抱いていない。これくらい整った顔なら男でも悪くないな。さすがは美形と(ほま)れ高かった〈白銀王〉の血筋だ」
 あまりの言い草に声も出せなくなる。アージェントはシアンの顔を見下ろし、くっ、と笑みをもらした。
「そう慌てるな、冗談に決まっているだろう。どれほど飢えていても、女も知らないような青臭いガキに興味はない。仮にも王の側近になろうと志しているのなら、いちいち相手の言うことを真に受けるな。頭の悪い侍従だな」
 さげすむような口調に、ひたりと思考が止まった。アージェントは始めから興味がなかったと言わんばかりに、あっさりと退いた。身体の上から重みがなくなると、遅れて震えがきた。怖くはない。怒りによるものだ。
 短剣をさぐりあて、アージェントの背中に向けて突きだした。さっきは、寸前で止めるつもりだったが、今度は本気だった。
 腕になにかふれた。つかまれた感触どころか、痛みも感じなかったのに、シアンの身体はくるりと反転して、もう一度、寝台に倒れ込んだ。
 ざくりとおそろしい音がして、顔の横に短剣を突き立てられた。
「剣で人を襲う時は、相応の覚悟をしろ。おまえが本当に()(かく)なら犯してやったのに、残念だ」
 顔を近づけて見つめられると、悲鳴がもれそうになる。胸の奥が切り刻まれたかのように、痛んだ。
 アージェントが剣を引きぬく。薄刃には銀色の髪がからみついて、はらはらと宙に舞った。
 ちっとも優しくないじゃないか。
 誇らしげに兄を褒めていたエールのことを、心の内で責めた。


「あんなやつが、アジュール王と兄弟だなんて信じられない!」
 ひとりごとのつもりだったが、建物の横にはすでにルリがいた。シアンの剣幕に驚いて、身体をこわばらせている。
「驚かせてすまない。ルリに怒鳴ったわけではないから、怖がらなくていいんだ」
 取り繕うと、彼女はこくりとうなずいて、ぎこちなく笑みを浮かべた。
「シアン様でも、そんな風に態度にあらわして怒ることがあるんですね。アージェント様となにかあったのですか?」
「……王の側近を目指している者が、賢者の地位も狙うなど、甘い考えだと馬鹿にされた。学問に対する欲が捨てられないのなら、軽々しく一生を捧げるなどとくちにするなと、責められた」
 心配げに見つめるルリに気づいて、はっとした。愚痴なんてみっともない。シアンは恥ずかしくなって、視線をそらした。
「忘れてくれ。今日は宝物庫を案内するからついておいで」
 鍵を開けて、静まり返った部屋に足を踏み入れる。ルリは見たこともない武器や、文献の数々に目を輝かせた。美しい宝石のたぐいよりも、書物の束に興味を示していて、少女らしくはなかったが好ましかった。
 彼女は紫の姫だ。エールが王宮に来たすぐ後に出会った。奴隷の常で無学だったが、おそろしく覚えが良い生徒でもあった。礼儀作法も侍女と比べて(そん)(しょく)がない。けれど、紫の宮殿へ帰れば、今でも(ぼん)(よう)な娘を演じているのだろう。
 不幸な境遇にある彼女のために、せめてもの息抜きになればと、エールが宝物庫の鍵を用意し、シアンは案内役を買って出た。ルリをがっかりさせたくなくて、「アジュール王も来たがっていたけど、緑の方が急にいらして、どうしても抜け出せなかったんだ」と伝えた。
「緑の方は、近頃はずいぶんと頻繁に、青の宮殿へいらっしゃるんですね」
「軍の増強に力を入れているのが、気にくわないようだ。王都の郊外に建設中の、演習場の縮小を申し立てに来ている。莫大な金を浪費して宮殿を立てておきながら、どのくちが言えるのだか」
「でも、緑の方の交易手腕によって、王宮の財政悪化が立て直されたのですよね。いっときは、黒の方を退け、パーディシャーになられるかもしれないといううわさも聞きました。これまで国内にはなかった、ヴェア・アンプワントの医術を得て、貢献された方を側近に取りたてたとか。視野の広い方なのですね」
「グリニッジという名の側近だ。研究所で会ったことがある。博識で頭はきれるが、あの容姿に驚かされた。くもった肌に黒の巻き毛なんて、奴隷の外見そのものだからな」
 ルリはわずかに眉をひそめた。
 物言いたげな表情に、シアンは言い方がまずかったかもしれないと、内心で(あせ)った。マギもグリニッジのことを同じように評していたし、緑の王でさえ「奴隷のような者」とふれ回っている。
 それなのに、同じことをエールに伝えた時にも、彼はわずかに表情を硬くした。
「緑の方の側近を、『奴隷』と評したのがいけなかったのか?」
「……え、いえ」
「おしえてくれ、ルリ。相手を不快にする言動は、側近として慎まなくてはならない。その……私はあまり、人の機微に(さと)くない。普段、話をする相手は腹芸が得意な連中ばかりで、『良く思われる人間』が持つ思考の、情報が足りていないんだ」
 彼女は「情報、って……」とつぶやいた。それからとりなすように、小さく微笑む。
「シアン様は難しく考えすぎです。思ったままを素直にくちにされたほうが、よろしいと思いますよ」
「私はもう子どもではない。これも側近になるためには必要なことだ」
 しごく真面目に答えたのに、ルリはまるで冗談でも聞いたように、くすくすと笑った。
 笑われても不思議と腹は立たない。ルリといると、エールと一緒にいる時のような安らぎを感じる。ふたりは同じやわらかさを持っていた。
 ルリのことは、エールをそばで支えるのに相応しい少女だと、シアンも認めている。初めて出会った時は、傷ついた彼女のことを守ってやろうと思っていたが、今では、王を守る同志のような気持ちを抱いている。
「ルリが男だったら、また違っていたのかもしれないな。ルリのほうが側近に相応しいと、嫉妬していたかもしれない。おまえは賢い娘だし、あのアージェント様のことだって、うまくとりなすことができているだろう」
 つい本音をつぶやくと、ルリは驚いたように目をまんまるにした。
「アージェント様はシアン様のことを、お好きでいらっしゃいますよ。見ていたらわかります」
「慰めてくれなくてもいい。どう思われているかは、自分が一番わかっている」
「あの方がわたしにお優しいのは女だからで、なんの期待も持っていないからです。もしわたしが男だったら、本音で付き合ってくださったかもしれないのに残念です」
 本音でと言われたって、あの性格の悪い男に本音で接せられるくらいなら、腹芸のほうがまだマシだと思えた。
「もし、わたしが男だったら近衛に入って、シャーをお守りします。王宮の中で起きる権力争いには、シアン様が立ち向かってくださって、わたしは(いくさ)で手柄を立ててシャーのお役に立ちたい。そうしたら、ふたりで協力して青の王をお守りできるでしょう?」
 花が咲くような笑顔だったけれど、内容は(たけ)(だけ)しかった。彼女の言わんとしている意味をくんで、シアンは苦笑した。
「いずれ側近になろうとしている身で、アジュール王が一番信頼している者と、上手くやれそうもないなどとは言えないか」
「シアン様から仲直りを言いだされたら、アージェント様は驚かれますよ。あまり感情が表に出ない方ですけど、びっくりされるにちがいありません」
 そう言われれば、こちらから話しかけるのも悪くないと思えてくる。やはり、ルリが男だったら良かった。こんなに優しい相手となら、上手くやっていけただろう。
 しかし現実は、あの癖のある男とずっと一緒なのだから、神は残酷だ。
「この肖像画に描かれている方、シャーと似ていらっしゃいますね。ずいぶん古い絵のようですけれど、どなたを描かれたのでしょう」
「ああ、初代の青の王だ」
 (ほの)(ぐら)い宝物庫に掲げられた、肖像画を見上げた。
 初めてエールに出会った時、まるで絵の中から抜けだしてきたようだと驚き、その偶然に運命を感じた。
 シアンの父は民から〈白銀王〉と呼ばれていた。銀色の美しい髪をもった男で、見目がよく常に(そば)()をはべらせていた。
 王になる前は、高官の開く宴に呼ばれて詩を披露するのが(なり)(わい)の詩人で、好色ではあったが男らしいとは言えず、政策には興味を示さずハリームにこもって(きょう)(らく)にふけった。隣国から攻められやすい東方を治める王でありながら、軍には興味がなかった。気が小さかったのだと思う。
 シアンはたった一度、父親に側近になることを申し出たことがあった。その時はまだ、六歳だったが、すでに次代の賢者とうわさされ、研究所の学術棟にも特例で出入りを許されていた。
 父親の前で、いずれ側近になり青の宮殿の名声を取り戻してみせると伝えたが、一笑に付された。白銀王は民の評判も、権力にも、興味がなかった。ただ、日々を自堕落に過ごすことしか考えていなかった。
 東方の民が〈白銀王〉の名をくちにする時、その陰には〈青の王〉の責務を放棄した、自堕落な暮らしぶりに対する苛立ちが含まれている。5人の王のどれでもない白色の名で呼び、王に相応しくない男をあざけった。
 マギたちは、幼いシアンに、「あの方の息子とは思えない」と言った。才能を褒めそやすものだったが、その裏をなめる響きは、いつだって気持ちに細かな傷をつけた。

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