5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

無料公開

 医師はこの場にそぐわない俺に対し、いぶかしげに尋ねた。
「これは青の術師だ。聞いたことがあるだろう? ヴァート王が手出しした、青の女だ」
 みるみるマラカイトの表情は変わった。ぐっと握りしめられたこぶしを、部屋の壁に打ち付けた。
「青の方。わたしは前王の恨みを晴らす気はない。しかしなぜ、こんなところにそのような者を連れて来るのか、正直に申し上げて、あなたのお気をはかりかねます」
「この者が、そこで死にかけている、緑の王の兄だからだ」
「……え?」
 マラカイトはぽかんと固まった。あまりにも予想外の言葉だったのか、二の句をつげずにいる。
「緑の王は意識が戻らないのだろう。この者に話しかけさせてみろ。術師としての能力はかなりのものだ」
「それは、どういうことですか?」
 俺を見る目はうろんになり、意味をはかりかねて顔がゆがんだ。
 ヒソクと会う手立てだと気づいて、俺は『声』を抑えるのをやめた。
「俺は声を出すことができません。くちは動いていないですよね。けれど、考えたことを音にしたり、相手の意識に直接話しかけることができます」
 空気が大きくゆれた。俺は『声』を、マラカイトにだけ集中させた。
「たとえば、あなたにだけ聞こえるように、なにかを命ずることもできます。やってみせましょうか」
 マラカイトは怯えたように部屋の中へとあとずさる。
 青の王はたたみかけるように「神の血が生んだ能力だ」と言った。
 医師はまばたきをして王を見つめたが、宗教が絶対的な力を持つ国で、その言葉になにかの折り合いを見いだしたようだ。
「わかった、もういいからやめてくれ」
 そう言ってハアと深くため息をついた。
「その力で緑の王の意識を起こすことができると言うんですね。たしかに肉親の言葉のほうが、より目を覚ますきっかけになるでしょう。それはわかっているが」
 マラカイトはちらりと俺の顔を見て、「本当にあの方の兄なのですか?」と尋ねた。
 俺はそれにうなずく。
「これまで病の人を見た経験は? 治療したことがあるという意味ではなくてもいいんです」
 意味がわからず、俺は首を横にふった。
 すると、マラカイトはむずかしい顔をして、青の王を見た。
「こんなに幼い方に、肉親の伏したところを見せるのは気が進みません。緑の王はかなり衰弱されています」
 俺はすうっと意識が遠のきそうになった。
「会わせてください」
 気を張るように強くそう言ってしまった。
「衰弱していたって、ヒソクは俺の妹です。会わないでいるほうがずっとつらい。俺の力ではどうにもならないとしたって、そばにいてやりたいんです」
 医師は驚いたように俺を見た。
「シャー、セーブル王が来る前に終わらせないと、面倒なことになりますよ」
 シアンの声が響いた。
 王はうっすらとうなずいて「会わせてやってくれ」と言った。
 マラカイトはあきらめたように俺を手招きした。
「少しの時間しかとれませんよ。黒の王に誰にも会わせないようにと言われているんです」
「わかりました」
 俺は彼のあとに続いて奥の部屋に入った。
 そこは前の部屋よりもわずかに薄暗かったけれど、ヒソクのまわりにはたくさんのガラスの筒が置かれていて、そこだけ発光しているかのようだった。
 ちらちらした光の中に、妹は眠っていた。
 仰向けに寝かされた身体の細さに驚く。
 子どもらしくふっくらしていた手足は骨が浮き、首やあごのあたりはさらにぺたりと皮だけになっていて、ほつれた黒い髪は色が抜けたように茶がかっている。
 顔の上半分にかけられていた布のせいですべては見えなかったが、頭もひとまわり小さくなってしまったようだった。
「ヒソク……?」
 そっと小さな手を持ちあげる。かつて俺にふれた、やわらかいてのひらと、同じものとはどうしたって思えなかった。緑のティンクチャーをなでたけれど、小さな指はぴくりともしなかった。
「ヒソク、俺だよ」
 薄い胸にひたいをつける。
 すうっと息を吸って、今度は耳を押し当てると、弱々しいけれど鼓動が返ってきた。生きようとする音に、俺は心の底からほっとした。
 ひたいから鼻の上まで、うっすらと湿った布がかけられていた。布をそっとめくった。
 ふたつの閉じたまぶたには、傷跡があった。
「……え?」
 布がぱさりと顔の横に落ちた。火傷のような引き攣れが、明かりの中であらわになった。
「目が開かないようにされています。人買いは、子どもを売る時に身体のどこかを欠損させて、高値をつけると聞いたことがあります」
 マラカイトの苦しげな声が響いた。
 おそるおそる、両手でほおを挟んで、「ヒソク」と呼びかけた。
 血の気の引いた小さな顔はぴくりともしない。たしかに妹なのに、ひどい傷のせいで、まったく別の者のように見えた。
「聞こえているなら、俺を呼んで」
 すがりつくように頼んだ。『声』を集中させることなどできなかった。ただ、呼んでほしかった。
 ヒソクのくちびるが、うっすらと開いた。
「セージ」
 水みたいに、たゆんだ音がもれ聞こえた。それは、『声』だった。頭が割れるように痛みだして、俺はその場に倒れた。


 次に目を開いたら、星くずをちりばめた夜空が、めいっぱいに広がっていた。風がさわさわと、前髪をゆらしている。
 ほおにあたる草の感触で、俺は自分が、野原に寝転んでいることに気づいた。
 地面にはりついた虫みたいに、身体はぴくりとも動かせなかった。声を出すこともできない。ただ、空を見上げていた。
 さえぎるものがなにもない、この星空を知っていた。
 右手にやわらかいものがふれている。顔を向けることはできなかったけれど、体温の高いそれが、なんなのかは知っていた。
 すっぽりと俺のてのひらにおさまっている、愛らしい指の持ち主を知っている。涙があふれそうになった。
 となりに眠る、ヒソクの顔を見たかった。
 これは、ヒソクと別れて王宮に来ることを決めた、最後の夜だ。
 あの時はわからなかった星の名前が、わかるようになっていた。けれど、それ以外はなにもわからなかった。
 これが夢なのか、俺はどうしてこんなものを見ているのか、なにもわからない。
「セージ、寝ちゃった?」
 返事ができない。ヒソクは俺が起きていることに気づかないのだろうかと、もどかしい思いがした。
 ほおに指が、そっとふれた。
「ヒソクが守ってあげるからね」
 疫病が流行る前の夜と同じように、妹はそうささやいた。子守唄のように優しい声で、眠っている俺に語りかける。
「なんども夢を見たの。あのひとたちと一緒に行けば、よそへ売られてしまう。でも、ふたりで王宮へ行けば、セージはわたしをかばって殺されてしまう。だからこれが、一番いい方法なんだよ」
 妹は舌っ足らずの甘い声でそう言った。
「ふたりで逃げられるくらいに、大人だったらよかったね」
 ふわりとした息をついた。
「かなしまないでね。セージを守れるんだから、わたしも泣かないよ。わたしがこんなことを考えているなんて知らないでしょ。わたしも、セージがわたしを逃がそうとしていることを、知らないふりしているから、これでおあいこだね」
 そう言って、身を乗りだして俺のひたいに自分のひたいをくっつけた。ぬれた緑の瞳が、星みたいに輝いていた。
「さよならセージ。きっとまた会えるよ」


「ヒソク、目をあけろ」
 青の王の声がして、目を覚ました。
 かたわらにひざまずいていたマラカイトが、「大丈夫かい」と心配げに尋ねた。
「急に倒れるから驚いたよ」
「俺……いまのは」
 呆然とあたりを見回した。そこは薄暗い診療所で、野原などではなかった。
 俺を抱えていた青の王は、その場に座らせた。石の床はひやりとつめたかった。
「子どものこんな姿を見るのは、医師であるわたしでも、つらいものだ」
 マラカイトは気遣うようにそう言って、俺の肩に手を置いた。
「やはり、見せないほうが良かった。治療はわたしたちに任せて、あなたは宮殿にお戻りなさい」
 寝台にはヒソクが横たえられていた。そばに立っていたシアンは、痛ましい表情で彼女を見下ろしていた。
 俺はふるりと首を横にふった。
「いやだ、離れない」

▲TOPへ戻る