5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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◇4章 最期


 夢を見た。
 火の精霊と水の精霊があらわれ、俺の前にヒソクを連れてくる。
 精霊は人よりも大きい。彼らに挟まれたヒソクは、別れた時よりもいっそう小さく見えた。
 長い髪はほつれていた。緑の瞳で俺をじっと見つめているのに、俺はなにも言葉を返すことができない。 
 ヒソク、と胸の内で何度も呼びかけているのに、妹は聞こえていないのかまばたきすらしない。
 呼び戻さなければと焦った。声が出なくても、今ならしゃべることはできるはずだ。おまえと同じように不思議な力を手に入れた。この『声』があれば呼びとめられるはずだ。
 ヒソク、と心の中で呼んだ。
 ゆっくりとふり返ったヒソクは、焦点のあわないうつろな瞳で「セージ」と呼びかけに答えた。
 するとそれが合図だったかのように、黒い水の波が押し寄せてきて、ヒソクの姿は覆い隠されてしまった。


 ハッとして目を覚ます。聖堂の中はすでに暗くなっていて、小さな炎だけがあたりを照らしていた。
 誰もいない聖堂は、俺の不安ばかりを募らせた。
 ガラスの筒を手に持って廊下に出た。ひたいに浮かんだ汗をぬぐうと、カテドラルの出口に向かって歩き出す。
 服の内から赤の装身具を取り出して、右の薬指にそれをはめた。
 最後の夜になる予感がした。
 鉄の扉を叩いた。年若い兵が、扉をわずかに開けて顔をのぞかせた。
「どうされました、術師様」
「すみません、火をいただけますか? 明かりが消えてしまって」
 兵は『声』に驚いたようだ。目を見張って、俺のくちびるが動いたのかを確かめようとした。
 俺は逆に、彼の瞳を上目づかいにのぞき込んだ。そうして、兵がその視線に気づけば、薄く開かれた扉に手をかけて上半身を見せるくらいまでゆっくりと開いた。
 茶色の瞳は、俺にくぎ付けになった。はだけられた胸もとに、視線が落とされた。そこには、青いティンクチャーが浮かびあがっている。
「なぐさめてもらえませんか? こんな暗いところに、ひとりではさびしいのです」
「な、にを言っているんだ」
 兵は上ずった声を上げたけれど、俺が視線をそらさずにいると、ふらりと身体をゆらせて、扉に手をかけた。俺は息がかかるほど近くで、「うれしい」とほほえんだ。
 男は眼の色を変えて、俺の肩をつかむと、カテドラルに強引に入りこんできた。噛みつくように、俺の首すじに頭をうめる。体重をかけられて、俺は床にしりもちをついた。
 男は性急に俺の脚を広げて、汗のにじんだ手で、服のすそをつかんで腹までまくりあげた。
 俺もそれにこたえるように、男の腹に手をのばす。膨らんだ部分を、指先でふれるかどうかくらいに淡くなぞれば、兵はごくりとのどを上下させた。
 彼の腰に巻かれた分厚いひもを解いた。剣の鞘が、がしゃんと大きな音を立てて床に落ちた。男は剣を、わきに蹴り飛ばした。
 馬乗りになられると、呼吸が止まりそうなほど重かった。俺は男の太い首すじに舌を這わせて、「早く」とささやいた。
 汗をなめとりながら、両手で首に抱きつく。ほしいものが手に入った。
 男が首からさげていた、細い首輪を両手でつかんだ。結び目をつくる。力をこめて、うつぶせに身体をひっくり返せば、予期していなかった男はのどに金属のひもをくいこませて、仰向けに裏返った。
 ぐ、とつぶれたような声がした。俺は背にのしかかっている重さに耐えて、ちぎれそうなほどひもを引き続けた。
 男が手足をばたつかせる。そのせいで、さらにのどに食いこむということまでは、判断できないようだった。やがて、ぐったりとした重みが背にのしかかってきた。
 俺は兵の身体の下から這い出すと、仰向けになった男の胸に耳をあてた。加減などわからないので覚悟したが、そこはまだとくとくと波打っていた。
 立ち上がると、開け放たれた扉から外へと出た。
 カテドラルに差し込む光よりも、月の光はずっとまぶしく感じられた。目に痛いそれを、二の腕を上げてふせいだ。
 慣れた廊下を歩いていくと、すぐに見覚えのある黒い服の兵たちがあらわれた。
「セーブル様にお目通り願います」
 俺は『声』でそう告げた。
「取り次いでください」と続ければ、それでようやく兵たちは、聞いたことのない『声』が、俺から発されていると気づいた。畏怖を込めた目で俺を見て、わずかにあとずさった。
 通り過ぎようとしたところで、職務を思い出したのか、俺の二の腕を乱暴につかんだ。
「その手を離せ」
 声を使うと、兵ははじかれたように俺から手を離した。他の兵たちは、「こいつになにをしたんだ」とつぶやき、怯えたようにあとずさった。
「青の術師さま」
 双子の術師があらわれた。やっと出てきたのかと、俺は彼女たちに向き合った。
「黒の王は、あなたを呼んではいません。今宵はお引きとりください」
「取り次いでくださらないなら、俺は自分で行きます」
 双子は眉をひそめて、くちびるの動きで「前と違う」とつぶやいた。
 正体を見極めようとするように、黒い瞳を細めた。俺はカーマインを思い出して身構えたが、彼女たちはあっさりと道をゆずった。
 意外に思ったが、俺はいそいでセーブルの部屋へと向かった。
 黒の警備兵はいなかった。いぶかしみながら、片手で布をはね上げると、部屋の中へと足を踏み入れた。壁を埋め尽くす黒い石は、暗闇でもわかるほどひたひたと光っている。
 けれど王は、その暗闇にはいなかった。失望感からひざをつくと、ぱさりと背後で布が落ちてきて、廊下の薪の明かりすら届かなくなった。
「セーブル様は青の術師には会いません」
 ふり返ると、薄い布の向こう側に、そっくりなふたりの影が映し出されていた。
 布がわずかに持ちあがった。ひざまずいていた俺の肩に、華奢な手が置かれる。
「さきほども、申しあげました。黒の宮殿にいらっしゃらないから、会いようがないのです。最後まで聞けばよろしいのに、間抜けな方」
 勝ち誇った言い草に、俺は苛立ちを募らせた。肩にふれた指に、きゅっと力が込められる。
「術師さまには、眠ってもらいます。セーブル様が戻られるまで、黒の宮殿で面倒を起こさぬように言いつかっています。術師さまの力は、使い方を間違えれば、とんでもない騒動に発展してしまうでしょう」
 くすりと笑みをこぼすのが聞こえた。
 ふれられた肩から熱いものが流れ込んできて、毒のような眠気が襲ってくる。俺は煮えたぎる怒りのまま、『声』の制御をはずした。
「黒の王はどこだ!」
 双子はそろって驚いた顔をした。ひとりが、空気のかたまりに押されるように、床に倒れ込んだ。黒い髪が、円を描くように広がった。
「ソーサラー……?」
 かたわれの少女が呼びかけても、倒れた少女はぴくりともしなかった。彼女は呆然と立ち尽くした。別のことをするのが、生まれて初めてだと言わんばかりの、驚きようだった。
「早く、黒の王の居場所を言ってください。時間がないんです」
 キィンと、金属をこすりあわせたような音が、廊下にこだまする。彼女は耳を押さえて、うずくまった。
 そばに近づくと、彼女は怯えた顔であとずさった。
「セーブル様は、正門です。緑の王を迎えにいかれました」


『セーブルに上手くとりいったところで、おまえにはもう手出しできない。カテドラルでおとなしくしていろ』
 青の王の言葉がひらめく。
 けれどひとりだけ、安全なところで待ってなどいられなかった。
 ヒソクは俺の妹だ。黒の宮殿の庭園を駆け抜ける。正門へと続く近道は、枝が行く手を阻んでいた。押しのけて、すき間をぬって走った。
 視界がひらけた。
 たくさんの松明に照らし出され、大きな門がそびえたっていた。馬に乗った男たちが、門から入ってくる。黒い甲冑を身に着けていた。灰色のマントも、夢となにも変わりなかった。
 黒の兵のうしろから、馬車が入ってきた。
「意識がない。急いで、緑の王を診療所へ運べ」
 聞き慣れた声がした。青の王は馬車のそばに立って、兵をうながした。
「黒の宮殿に近い診療所でよろしいですね」
 隣にいたセーブルがそう念を押すと、「かまわない。新しい王を連れてきた手柄は、黒の王のものだ」と答えた。
「だが、幼い王を長旅で疲弊させたあげく、死なせるようなことがあれば、責任を取ってもらう。そのつもりでいろ」
「あの娘は、砂漠にいた時から目が見えなかったのです。おそらくビレットの商人に売られたのでしょう。抜け出すかして流浪の民に拾われたようですが、どれもわたしの責任が問われるところではありませんよ」
 セーブルの答えに、青の王は静かに笑みを見せた。
「どうだかな。すべては緑の王が目を覚ませばわかることだ」
 運び出された布のかたまりは、ぴくりとも動かずにただ兵の動きにゆられていた。兵の顔には、人を抱えている重さなどみじんも感じられなかった。包まれているなにかが、人だなんて思えなかった。
「待ちなさい」
 セーブルに呼びとめられて、兵がふり向いた。その拍子に、布のはしから人の腕があらわれた。
 くたりとゆれた浅黒い手を、俺は樹の陰から、呆然と見つめた。
 人形のように力ない腕が、体温の高いヒソクの手と、同じものとは思えなかった。のどの奥から、悲鳴がもれだしそうだった。
 この場にいる全員を呪い殺してやりたい。
「そこでなにをしている!」
 木の枝のゆれる音がして、俺は茂みから引きずり出された。
 ヒソクを抱きかかえた兵も足を止めて俺を見たが、面倒ごとから守るように、足早にその場をあとにした。すぐに追いかけようとして、兵に拘束された。
「この服の色。まさか、青の侍従か?」
「私の侍従だ。手を離してくれ」

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