5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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 耳慣れぬ言葉に俺は興味をひかれて、もう一度その絵を見つめ直した。
「この4匹の馬の他にも、もう1匹いるのですか?」
「いいえ、ヒソク様。この馬は4匹そろってはじめて、1匹の神獣なのです。『黒の神獣』と呼ばれます。王と同じで、それぞれの色の冠された獣がほかに4匹いるのです」
「……黒の神獣」
 黒馬のくちに、なにかが咥えられている。よく見ればそれは人だった。互い違いに重なりあう馬は、人を咥えて振り回している。背筋が寒くなった。
 ルリは絵を見て、「この絵は人を食べようとしているようにも見えますが、正確には食べているのではなく、ふれた者の命を奪う能力があったと言われています」と言った。
「命を奪う?」
「黒の神獣にかぎらず、残りの4匹の神獣も人に害をなす象徴とされることが多いのです。あちらの絵は紫の神獣ですよ」
 左隣の壁にかけられていたのは、大きな鳥の絵だった。姿はカラスに近く、黒い羽根を広げた鳥は、地上を見下ろしていた。絵の下半分には、こまかな人らしきものが描かれていて、剣を交えているようだったが、すみには息絶えた者も積み重なって小山のようになっている。
「紫の神獣は高い声で鳴き、人を狂わせたと言われています。戦場で戦士たちを狂乱におとしいれ、同士討ちをさせるところが描かれています」
 ルリはそう説明した。淡々とした口調のせいで、絵は余計に不気味に感じられた。すぐとなりに飾られていたのは、2匹のオオカミの絵だった。背景に月が描かれているので空を飛んでいるように見えた。
「ルリ様、この黒い渦巻のようなものはなんでしょうか」
「これは竜巻ですね。緑の神獣は風を操る力があり、嵐を起こして家をこなごなにしてしまうので、天災の象徴とも言われています」
 じっくり見ると、竜巻には巻き込まれた人や木が描かれていた。
「この3匹は馬、鳥、オオカミと、動物のかたちをしていますが、赤と青の神獣は少し違っています」
 そう言って、ルリは反対側の壁に向かって歩いた。そこにも2枚の絵が並べて飾られており、ひとつめにはヘビに似た生き物が描かれている。
「青の神獣です。ヘビの身体に、にわとりのようなとさかと、鳥の足が生えています。一番の特徴はこの大きな羽で、羽の先には爪のようなものがついています。この生き物は、地上にはいないと言われています」
「怖い目をしていますね……」
「ええ、見つめた相手を、操る能力があったと伝わっています。紫の神獣の『声』と同じように人を狂わせる能力です。次は最後の絵です。赤の神獣こそ、想像上の生き物ですよ」
 赤の神獣の絵の前に立った。これまでで一番、不気味な生き物がそこに描かれていた。上半身は人間で下半身は動物のようだ。髪はなく、閉じた両目は左右がつながっていた。腕は長く地面につくほどで、肩のあたりからなにかが滴っている。
「この黒っぽいものは……血ですか?」
「いいえ、これは毒です。赤の神獣は強靭な肉体を持っていました。心臓を槍に貫かれても平気なため、不死にもっとも近かったと言われています。不死を望む者の間で奪い合いになったけれど、誰も手には入れられなかった。肌から猛毒がにじみ出ていて、ふれる者は毒に冒されたのです」
 毒、と俺は繰り返した。
「……あの、言い伝えですよね。こういう獣たちが本当にいるわけではないのですよね」
 ルリはくすりと笑って、「ええ、もちろんそうですよ」と答えた。怯えを見透かされたようで、気恥ずかしくなった。
 ルリは神聖なものにふれるように、そっと絵に指を這わせた。
「従えていたのではなく、神が造りだした獣とも言われています。オーアがその身を引き裂き神獣を造ったと。5匹の神獣は5人の王になったと言われています」
「獣が、人になったと言うんですか?」
 冗談のような話に、どう反応していいかわからなかったが、ルリは笑い飛ばしはしなかった。
 俺は勇気をだして、ルリと同じように、絵にふれてみた。古い絵はざらりとしているだけで、俺に噛みついたりはしなかった。


 食事を終えると、ルリは侍従に呼ばれて、カテドラルから出ていってしまった。
 廊下を歩くと天井に近い部分から光が入り込んでいて、昨夜のように真っ暗ということはない。アーチ状の柱が等間隔で並べられていて、光の加減でそれはひどく美しく目に映った。
 俺はこっそりと、他の部屋を見て回ることにした。
 誰にも見とがめられずに、カテドラルを堂々と歩くことなど、望んでも得られない機会だ。神獣の絵が飾られていた部屋以外にも、宝石や装身具がそこかしこに展示されている。
 ずいぶんと年季を感じさせる装身具もあったが、それらはよく手入れされていて、錆ついたみすぼらしいものはなかった。
 シェブロン銀貨も、たくさん並べられていた。古いものから、彫刻の精度を増していて、おそらく一番古い銀貨には、神獣の姿が彫られていた。
 いつからか、刻印は王の姿へと変わったのだろう。現在、使われている銀貨へ視線を落とすと、俺がルリから譲られたものよりも、くすみがなく美しかった。
 サルタイアーの硬貨も飾られていたが、ルリが見せてくれた水の精霊も、対になっている火の精霊の銅貨も、展示されていなかった。
 俺は次の部屋へと移った。
 だだっ広い部屋の真ん中に、大きな円卓があった。机の表面に埋め込まれた石は、オーアの姿をかたどっている。
 机を囲むように、5脚の椅子が用意されていた。背もたれに動物の皮を貼りつけた、そろいの椅子だった。欲求を抑えきれずに、ひとつに腰を下ろす。
 あたりを見まわしていると、部屋のすみの鉄の扉が目に入った。扉には、オーアの模様が刻まれている。
 興味をひかれて近づいた。指先でそっと押すと、抵抗があった。思い切って力をこめてみると、扉はゆっくりと開いた。
「階段?」
 地下へと続いていた。おそろしいほどの闇からは、覚えのある香の匂いがした。
 青の王に抱かれた時に、嗅いだものと同じだ。俺は入口に備え付けられた、ガラスの筒に火を灯すと、片手に持って地下へと歩き出した。
 らせん状の階段はいつまでも続くようだった。地下へ行くほど、次第に息苦しく感じられてきて、不安な気持ちが増した。
 終わりは突然にやってきた。階段の終わりに、油を入れた器が用意されていたので、俺は火をくべて、目が暗闇に慣れるのを待った。
 カテドラル全体に広がっているのかと思うくらい、圧倒的な広さだった。見渡しても、家具のひとつもない。
 歩き出してしばらくすると、なにかを踏みつけた。
 カツンという音に驚いて足元を照らした。床にはびっしりと、陶器の皿が敷き詰められていた。
 俺はしゃがみこんで、指先で皿をつついた。 
「もしかしてこれ、ふたなのかな」
 皿だと思ったものは、少しだけ土に埋められていた。すき間に指をかけた。
 重さのあるふたを苦労して外すと、中に入っていたのは、耳飾りと腕輪だった。
 青い石のはめ込まれた装身具をどかせば、ふわりと白い灰が舞った。灰にうずまっていた固いものに指が触れて、あわてて手を引っ込めた。
「今のも装身具?」
 もう一度さわる気は起きなかったので、ふたを閉めた。
 ざっと見ただけでも、二百はあるだろう。このすべてに装身具と灰が詰められているのだろうか?
 踏まないように気をつけながら、奥へ進んだ。最後までたどり着くと、今までと比べようもない、大きなふたが並べられていた。
 5つのふたには、簡素化された神獣が、それぞれ描かれていた。
「馬、鳥、オオカミ、ヘビ、目のない怪物、全部ある。どうしてこれだけはこんなに大きいんだろう」
 ふたの大きさからして、人が入れそうな壺だ。
 俺はそれで、ようやくこの部屋自体に恐怖を感じた。はじめの壺に入っていたのが、燃やした骨なのではないかと気がついた。
 指についた灰色の粉を見つめた。へたりと、ひざから力が抜けるのを感じた。
 先ほどまでと違って、壺のひとつひとつに意味が感じられて、俺は別の世界に迷い込んでしまった気がした。
 急に怖くなって、階段まで戻ろうとした。途中でなにか硬いものにつまずく。それは先ほど俺が開けたふたで、きちんと閉まっていなかったのだろう。
 俺はしゃがみこむと、蹴飛ばしたふたを拾い上げた。
 壺の中に、緑色のものが入っていた。
「サルタイアーの銅貨?」
 目にしたものが信じられなかった。
 馬にのり弓をかまえる精霊の姿は、ルリに見せてもらったものとほとんど変わりなかった。しかし、決定的に違うところがあった。
 銅貨の背景には、山なりに重なる線が彫られていた。猛々しいそれは炎のように思えた。俺は誰もいない地下で、「火の精霊?」とくちにした。


 カテドラルに青の王がやってきたのは、ルリと水時計をながめている時だった。
 水時計の上部には、2本の金属の棒が立てられている。一方の棒には等間隔で横線が引かれていて、それが30分の目安になる目盛りだ。
 縦に平行にもう1本設置された棒には、細い針が横向きにくくりつけられて、水平に目盛りを指している。
 棒の下部分は水をためた円柱状の容器にはめ込まれていて、浮力のある重しがつけられている。
 容器に水がいっぱいの時は目盛りの一番上を指しているが、水位が下がれば針はだんだんと下降する。それが、経過した時間をあらわしているということだった。
 俺はファウンテンで同じものを見たことがあった。裁判には時間が決められていて、出席した者がどれくらいの時間が経ったのか、把握するために水時計が置かれていた。
 カテドラルには他にも、星時計や砂時計があった。気になるものがたくさん陳列されていて、俺はかじりついてながめた。
「シアンと気が合いそうだな」
 青の王は展示室に入ってくると、そう言った。ルリは青の王に頭を下げた。俺はのろのろと立ち上がって彼女にならってお辞儀をした。
「カテドラルでは誰も見ていないから気にするな」
 青の王はルリにそう声をかけた。
「水時計も久しぶりだな。ルリはおぼえているか? シアンが水時計は時間がずれると言いだして、部屋に閉じこもっていたのを」
 ルリは小さく笑って、「ええ、おぼえています」と言った。
 ふたりはちらりと視線を合わせて、「『砂と水ではこぼれる速さが違うんだ』」と言った。
 楽しげな様子に、俺は目をぱちぱちさせた。
「でもシアン様にそれを言わせたのはシャーでしたよ。強引に外に連れだしてしまわれて。宮殿のありったけの容器を持ちだして、びしょぬれになるまで実験を繰り返されたせいで、側近に叱られていましたよね」
「シアンは怒られている間もずっと謎が解けただのぶつぶつ言っていて、ちっとも聞いていなかった。ルリは何食わぬ顔で遠巻きにしていたし、迷惑をこうむったのはひとりだけだ」
「ええ、わたくしたちそれを青の宮殿から見ていましたよね」
「わたしたち?」
 ルリはふと笑みを止めて、「え?」と不思議そうな声で聞き返した。
「ヒソク」
 急に名を呼ばれて、俺はびくりとした。
 ルリが楽しそうにしていたから息をひそめていたというのに、なぜ台無しにするのかと思って、青の王をにらんだ。

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