5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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 悔しさのあまり、鼻の奥がつんとした。
「約束を覚えているか?」
 青の王はささやいた。逃げようとしたが、足首をつかんで引っ張られ、さらに密着した。
「西方に行く前に、留守の間は問題を起こすなと言っただろう」
 叱るようなことを言って、胸のティンクチャーにくちづけた。今すぐ皮ふを焼き切りたいほど、苛立ちがつのった。
 書きつけた紙をたぐり寄せて、青の王の鼻先に押しあてた。それをちらりと見て、「文字が書けるとは驚きだな」と、どうでもよさそうな声で言った。
 片手で紙を握りつぶすと、床に投げ捨てた。
「交換条件のつもりか。くちがきけなくなっても、可愛げがないのは変わらないな。それとも妹が死んでしまえば、私に従う必要などないという、意思表示のつもりか」
 妹と死という言葉を一緒に聞いて、くたりと力が抜けた。
 もしも、ヒソクが死んだら、俺は生きている意味がなくなる。怒りも嫌悪も忘れて、青の王を見つめた。
 男は小瓶を出して、俺の腹にたらした。
 どうしてヒソクだけは、殺さずに連れ去ったのだろう?
 あの場で殺さないのなら、妹になにをするつもりなのだろう。あいまいな想像に、胸が焼き切れそうになる。
 ヒソクを助け出せないなら、あんな夢は見たくなかった。なにも考えたくなかった。腹の上にたらされたアンバルの匂いを、いっぱいに吸い込んだ。頭の中がぐらぐらとゆれた。
 固く閉じていたすぼみに、油をぬりこまれる。自分でほぐすことしかなかったそこは、他人の指にびくついた。大きな手で急所をさわられる恐怖に、俺はぐずって泣いた。
 強引に動かされると、すぐに興奮にすりかわる。ほぐされても、貫かれる時は、ひどい痛みをともなった。
 空っぽの腹に受け入れれば、それが内側にぴったりとおさまるのを感じた。ゆさぶられると、なにも考えられなくなる。ずっとこのままでいたい。
 抱きついても、汗の匂いすらしなかった。けれど、俺は青の王の首すじに、血の匂いを嗅いだ。
 ぐっと深くつきいれられて、目の前がぱちぱちと白くはぜる。
 綺麗に光る向こうに、切り取られた光景が浮かびあがった。何枚もの絵をばらまかれたようだった。
 武器を手にした男。追われて逃げる者たち。
 青い甲冑を着た兵、ほおに血をあびたシアンが屋敷を指さし、なにかを告げようとしていた。
 見覚えのある屋敷だった。俺が住んでいた、西方の慈善家の屋敷だ。あの家で、何度も主人に犯された。
 黒煙が噴き出し、盛大に燃えていた。屋根が崩れ落ちた。腹の底から、いい気味だと思った。
 はあはあと、あえいだ。薄いくちびるを重ねられる。
 ギルの優しいくちづけを思い出す。同じところを、血の匂いがする男に踏みにじられる。
 青の王の首につかまりながら、くちびるだけを動かして、ギルと呼んだ。


 うーん、と腕を持ち上げて伸びをする。妙にすっきりした頭を軽くふった。
 寝台から立ち上がると足元がふらついたが、廊下を歩くうちにそれも慣れてきた。
 廊下の先からルリがやってきて、驚いたように目を丸くした。
「ヒソク様! 起き上がっても大丈夫なのですか」
 ちょうど食事を運ぶところだったのだろう、ルリの持っていた盆には、スープや果物が、多すぎるほどのせられていた。
 ぐるぐると、強烈な空腹感を感じた。
 ありがとうと、言ったつもりだったが、くちびるだけが、ぱくぱくと動いた。
 ルリは痛ましそうに俺を見たが、すぐに明るい顔をとり戻して、「今朝は日差しがやわらかいですから、お庭で召し上がりますか?」と、言った。
 青の宮殿の庭園には、銀細工の施された丸机と、同じ意匠の椅子が備え付けられていた。
 出された食事をくちに運ぶ。あたたかいとうもろこしのスープは美味しかった。
「少し背が大きくなられましたね」
 ルリが、まぶしそうに俺を見つめた。つい、にこりとしてしまった。
「ヒソク様の笑顔、久しぶりに見せていただいた気がします。シャーとお会いになりましたか? 昨日、倒れていたヒソク様を、寝台まで運んでくださったのですよ」
 ルリの言わんとするところがわからなくて、きょとんと顔を見つめた。
 青の王にうとまれている俺のことを、気遣ってくれているのかなと思った。
「なにがあったのか心配されています。のどの傷のこともありますし、調理場への出入りも禁じられるおつもりのようですよ」
 驚いて、食事をする手が止まった。
 ルリは俺を見て、「シャーには、ヒソク様の作られる食事はとても美味しいと、申しておきました」と言った。
「ずっと、わたくしのせいで、調理場へ通われていると思って、心を痛めていたのです。けれど、多くの調理人がヒソク様のことを心配されていました。その食事もみなさんで用意してくださったんです。調理場は、ヒソク様の大切な場所なのだと、シャーに話してくださいね。心から申し上げれば、わかってくださる方です」
 あの男が俺の話に耳をかたむけてくれるとは思えなかったけれど、ルリの話がうれしかったのでうなずいた。
「本をお持ちしましょうか? せっかくですから、なにかおもしろそうな物語でもお読みしますね。書庫から探してまいりますのでお待ちください」
 そう言って、ルリは席を立った。
 ひとりきりの庭園はひっそりとしていた。
 晴れ渡った青空を見上げる。まぶしい色の空だった。
「ヒソク」
 呼ばれた気がした。ふり返ると、庭にギルが立っていた。俺はまばたきも忘れて、呆然とした。ギルはゆったりと歩いてきて、俺の前で立ち止まった。
「忘れ物を届けにきた」
 差し出されたのは、行商から買い求めた絵本だった。
 ギルは俺のひざの上に、本をそっと置いた。
「それから、銀貨も忘れていた」と、小さな皮の袋を、本の上に置いた。
「他の宮殿に忍び込むのは、ずいぶんと緊張するな。こんなことをやってのけるなんて、やはりヒソクはすごい。君の部屋もどこにあるのかわからないし、今日も会えないかもしれないと思って、あきらめそうになった」
 ギルはそっと、俺のほおに手をのばした。
「少し痩せたな。ちゃんと食べているのか? 食べないとだめだと言ったのは、ヒソクだぞ」
 そう言って、おだやかな顔でほほえんだ。
 声が出なくて良かったと思った。声を出せたら、くちづけてほしいと言ってしまうところだった。
 ギルの視線が、俺の首もとにうつった。傷を気にしているのかと思って、首を横にふった俺は、バカだった。
 鎖骨の下に広がる、青いティンクチャーを、ギルはながめていた。
 昨夜の情交で、いっそう濃い色をとり戻していた。自分の顔が、醜くゆがむのがわかった。
 ギルの目から隠したいと思った。けれど、動くこともできなかった。ギルが立ち上がって、びくつく俺の前髪に、くちづけた。
「またここへ来てもいいか?」
 目を伏せてじっとしていると、ギルは「また会いにくる」と、優しく言い直した。
 そうして、来た時と同じくらいにゆったりと、庭園から出て行った。
 俺はその後ろ姿を、食い入るように見つめていた。まばたきのあいだに消えてしまう、夢なのではないかとおそれた。
 皮の袋から、銀貨がひとつこぼれおちた。横を向いた王は、頭に葉でできたかんむりをつけ、5枚のうちで一番おだやかな顔をしている。
 銀貨のふちをとりまくように、小さな文字がしるされていた。
 ギュールズと胸の内でつぶやいた。王の名前のしるされた赤の銀貨を、そっとなでた。
 銀貨を袋に戻そうとして、中に入っているものに気が付いた。それは、前に見たことのある、赤い石のはめ込まれた指輪だった。


 ルリには少し休むと伝えて、部屋へと戻った。
 侍女に頼んで、服を用意してもらう。ファウンテンに着ていったのと同じ、かしこまった格好だ。
 久しぶりに、青い石の飾りのついた腕輪を両手にはめた。少しのびた髪を、後ろでひとつにしばった。
 準備を終えると、侍女をひとりだけ連れて、青の宮殿を抜け出した。
 青の宮殿と黒の宮殿のあいだには、ひときわ大きな建物がある。
 カテドラルと呼ばれる建物だ。大きなドーム型の屋根があり、4つの細い尖塔が、四方を守るように整然と配置されている。
 建物の中には、式典の際に使われる大きな聖堂や、王が会合を開く部屋のほかに、宝物庫などがあって、何人かの兵が交代で見回っていた。
 兵に出会うが、侍女を連れている俺には、何も言わずに道をあけた。
 黒の宮殿にたどり着くと、侍女が一歩前にすすみ出て、俺があらかじめ頼んでおいた言葉を、見張りの兵に告げた。
「青の星見のヒソク様です。黒の方へのお目通りをお願いしていると伝えてください」
 兵はじろりと俺を見下ろした。高価そうな服に目を止めて、思案する顔になった。
 しばらくして、俺と同じくらいの年頃の少女がふたりやってきた。
 胸もとの大きく開いた服を着た彼女たちは、どちらとも区別のつかないそっくりな顔をしていて、白い肌にしるされた、黒い羽のティンクチャーも同じだった。
 首からは馬をかたどった銀色の飾りを下げている。4頭の馬が複雑にからみ、それぞれの馬の首は、野の花のように互い違いを向いていた。
「シャーがお会いするそうです。こちらへどうぞ」
 少女たちのあとに続いて、黒の宮殿を歩いた。
 宮殿の造りは、青の宮殿と左右対称になっていて、部屋の大きさなどにあまり違いはなかった。けれど、いつも静かな青の宮殿と違って、どの部屋もにぎやかな声があふれていた。
 そっと部屋を見ると、裸の女が酒を飲む男にしなだれかかっていて、あわてて目をそらした。
 先をゆく少女に、くすりと笑われたような気がした。
 黒の王の部屋は、宮殿の奥にあった。中に入ったら、広さよりも異様な色に目を奪われた。すべての壁が、光沢のある黒い石で埋め尽くされていた。
 少女たちは部屋に入ると、慣れた様子ですみへ行き、ひざをついた。
 セーブルは複雑な模様の絨毯の上でくつろいでいた。

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