5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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◇3章 声


 部屋の外が暗くなったり明るくなったりする、そのうつり変わりをただながめるだけで一日を過ごした。
 ルリが部屋まで様子を見にきてくれても、寝台に起き上がることすらできなかった。
 医師は俺を診て、のどや頭の痛みはないかと尋ねた。俺はどの問いにも、ゆるく首を横にふるだけだった。医師は困り切った顔で、そばにいたルリに話しかけた。
「首の切り傷は、たいしたことないねえ。声が出なくなったのは、精神的に強い衝撃をうけるようなことがあったからではないかと思うよ。あんたはなにか知らないか」
 ルリが曇った表情で、わからないと答えた。心配そうなルリを見てさえ、困らせてはいけないという気持ちすらわいてこなかったから、俺は死んでしまったのだなと思った。
 声が出ないことも、仕方ないとあきらめてしまった。すぐに、眠りに落ちてしまうのを止められなかった。うとうとすると、頭に浮かぶのは妹のことばかりだ。
 今どこにいるのだろう?
 セージと、舌っ足らずな声で名前を呼んでほしかった。ヒソクが間違いなくしあわせなのだと、今すぐに知りたかった。そうでなかったら、俺はもうどうしていいかわからない。
 見返りが必要だった。
 このつらさを我慢できるくらいに、ヒソクがしあわせになってくれなければ耐えられない。
 押し付けの愛情しか持っていない自分を愚かだと思うけれど、こうする以外に心の平穏を保つ方法を知らなかった。
 一日に何度も眠りに落ちる。
 そうして何度も、目を覚ます。
 やがて、部屋の外が、オレンジ色の夕日に包まれた。夜空を見る前に、俺はまた、深い眠りへと落ちていった。
 夢の中で、ヒソクは黄色い砂漠にいた。別れた時よりも髪がのびていて、黒い巻き毛は、砂漠の砂ぼこりのせいか、色あせて見えた。
 ヒソクは岩の上に座り、暗くなった空を見つめていた。その先の、うんと遠くに届けるように、「セージ」とささやいた。
 すると、小さな星が2つ並んで、猫のしっぽのように流れて消えた。
 ヒソクのまわりを、幾人もの老人が取り囲んでいた。俺がヒソクを預けた、赤毛の男たちではなかった。知っている者は誰ひとりとしていなかった。
 老人たちは、オアシスのそばにぼろぼろのテントを張って、少しばかりの干し肉や木の実をわけあいながら生きていた。
 ヒソクは、広い砂漠のどこに行けば、水が飲めるのかを知っていたので、老人たちにとってなくてはならないものだった。
 ヒソクはみなに、オアシスから立ち去るように諭した。けれど、疲れていた老人たちはすぐには動けず、少女の言葉をとりあわなかった。
 それに、オアシスには美味しい果物がなっていた。そんなところはめったになかったので、わずかな期間で立ち去るには名残惜しかったのだろう。
 朝陽が昇ったら。次の朝陽が昇ったらと、老人たちはヒソクをなだめ、好きなだけ赤く甘い果物をむさぼった。
 やがて真っ暗闇の中、いくつもの小さな光が近づいてきて、馬に乗った集団がオアシスへやってきた。
 黒い甲冑を身につけ、灰色のマントをまとっている。
 男たちはテントを破壊して、あるだけの食べ物を奪い取った。すべてが終わる頃には、泉は赤黒くにごっていた。
 ヒソクはひとりの男に抱え上げられ、その場から連れ去られた。
 老人たちは、誰ひとりとして立ち上がることができなかった。
 夜が明け、砂漠に静かな青空が戻った。じりじりとした太陽が真上にのぼる頃、雲ひとつない空に幾筋もの強い閃光がまたたき、雷鳴が響いた。そして、ひときわ激しい轟音とともに炎はオアシスに横たわる老人の遺体を焼いた。
「ヒソク!」
 叫びながら目が覚めた。
 あたりは薄暗くなっていて、部屋には、銀の皿にくべられた火の明かりだけが輝いていた。
 身体が冷えるほど汗をかいていた。ふるえが落ちつくのを待つと、俺は寝台から立ち上がった。
 棚から本を取り出し、部屋の外までよろよろと歩いていく。
 暗い夜空を見上げて、夢の中の星を思い出そうとした。ヒソクが見上げていた星の位置と、俺が見ている夜空の違いを、見つけようとした。
 本をひらいて、地図の描かれたところをちぎりとった。中央に記載された王宮を向いて、ヒソクが俺の名を呼んだのなら、それは星の位置からも、南方である可能性が高かった。
 砂漠はシェブロンの中には存在しない。南方の下に描かれたビレットは、広大な砂漠を有していた。ビレットのことなら、ギルに聞けばわかるかもしれない。
 歩きだそうとしたのに、ひざの力がかくんと抜けた。赤の宮殿に向かおうとしただけで、身体はすべてを拒否した。
 誰かを呼ぼうとしたけれど、ケホと乾いたせきが出ただけで、声が出なかった。
 今さら、焦った。廊下にへたり込んで夜空を見上げた。
 はじめて、神様に祈った。これが、バカげた夢で、俺の取り越し苦労であることを、心の底から祈った。
 その時、祈りに応えるように、2つの並んだ星が、夜空を横切った。


「ヒソク様!」
 ルリの悲鳴が聞こえた。
 ふわりと、嗅いだことのある香のにおいがした。無意識に側に来たあたたかい身体に、身をすりよせた。
 首からあごにかけてのすっとした輪郭線をながめて、俺はまだ、夢の続きにいるのかと思った。こんな男は死んだらいいのにと心の中で唱え続けた、あの夜を思い出させた。
 まだ、かなしい何かが始まる前の夜のことだ。
 夢ならいいのにと、俺はもう一度思った。
「シャー、こちらへお願いいたします」
 ルリのひそめた声音が聞こえた。
 そっと寝台に横たえられる。かたわらに腰を降ろした青の王は、俺の首に手をあてた。
「あとは侍従に面倒を見させる。おまえはもう休んでいろ」
「かしこまりました。お留守にされている間、目を離さぬよう頼まれておりましたのに、ヒソク様をお守りできず、申し訳ありませんでした」
「病み上がりのおまえに何ができる。やることを与えたほうが退屈しないと思ったまでだ」
「ですが……」
「いいから、早く部屋に戻って寝ろ。まだ完治はしていないと医師から聞いたぞ」
「もうすっかりいいのですよ。シャーもわたくしが歩きまわれるほど回復していて、驚かれたのではないですか。つきっきりで看病してくださったヒソク様のおかげです」
「代わりにこれが寝ついていては、バカのやることだろう」
 そう言って、前髪をすかれた。ざらざらした手は、俺のひたいの上で止まった。
 ルリを引き留めそうになるのを、必死に耐えた。歩く音が遠ざかっていく。
 親指が、まぶたの上をなぞった。
「ヒソク、いいかげん寝たふりはやめろ」
 泥のように重いまぶたを、そろそろと持ち上げた。
 薄暗い部屋に、青の王とふたりきりだった。途端に身体がこわばった。青の王は俺の肌をなでた。ぞわぞわとした嫌悪感を、目をつぶって我慢した。
「それが、王を迎える女の態度か?」
 あざ笑うようなくちぶりで、一番聞きたくなかった言葉を吐かれる。そんなものにはなりたくなかった。
 顔の上に、ばさりと紙が放り投げられた。
「地図を持ち出して、なにを探していた。気を失うほど思いつめるくらいなら、くだらない用ではないのだろう」
 言われて、大事な記憶がよみがえり、あわてて地図を広げた。部屋が暗いせいで、青の王は顔を寄せてきた。
 声を出そうとしたけれど、のどから空気がもれただけで、まともに音にかえられなくて、地図を指さした。
「南方? なんだ、わかってほしいならくちで言え」
 ぶるぶるしながらにらむと、「くちがきけなくなったのは聞いている」と言われた。
「ビレットか」
 コクコクとうなずいて、砂漠を指でとんと叩いた。
「ベンド砂漠がどうした。ここに行きたいのか? なにもないところだぞ」
 めいっぱい首を横にふる。俺は自分に指を向けた。
 すると、すぐに「本物のヒソクか」とため息のような返事があった。
「妹の居場所を白状してどうする。逃がしておいてほしかったんじゃないのか」
 俺はもどかしい思いで、くちをぱくぱくとさせた。
 肩をつかまれて、引き寄せられた。目の前に青の王の顔があって、俺はぎくりとした。青い目は、にじむように濃く色を変える。
「妹が危険なのか」
 どうして伝わるのか、不思議だった。
「おまえに星見の能力はないのではなかったか。なにもできないと豪語していた、あれはどうした」
 そんなことは、俺のほうがききたかった。
 俺じゃなくて、ヒソクの力かもしれなかった。ヒソクが助けを呼ぼうとして、俺にあの光景を見せたのかもしれない。
 それが一番ありそうだった。だから、さらわれる場面を、俺に見せたのだ。助けをもとめたのだと思えば、いてもたってもいられなくなった。
「ベンド砂漠まで、馬でも7日はかかる。砂漠では、飲み水もままならない。おまえのように体力のない者が行っても、ヒソクにたどり着くまでに死ぬぞ」
 7日と聞いて、絶望的な気持ちになった。
 先ほどの流れ星が、ヒソクの見ていたものと同じなら、あの夢は、おそらく今夜のことだった。今から行っても、砂漠につく頃には、ヒソクは連れ去られているだろう。
 俺は地図をながめて、なにかできないか、必死に考えた。焦燥感にさいなまれる。せめて、ヒソクのいるオアシスのことだけでも伝えたい。
 そば机に置かれた、紙とペンをとりあげた。『オアシス』と書いた。
『老人』『馬』『黒い甲冑の兵』『連れ去られる』
 腰をつかまれ、寝台に引き戻された。仰向けに寝転がされ、男の影が覆いかぶさった。
 押し戻そうとしたが、力の差は歴然としていて、簡単に抑え込まれてしまう。
 脚のあいだに男のひざが割りこむ。服のすそをたくしあげられて、無遠慮に足の付け根をさわられる。

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