5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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 ヒソク。
 ヒソクヒソクヒソク。
 止まったと思っていた涙があふれてきた。
 のどが空気を欲しがってわなないた。水の中に頭まで押し込められてしまったようだった。
 セーブルは念を押すように、ぽんとギルの肩をたたいた。耳もとに顔を近づけると、何事かささやいた。
 なにを言ったのかは聞こえなかった。ただ、すうっと、その場の空気が冷えたような気がした。
 ギルは肩に置かれた白い手を、そっと退けた。
 それから一歩踏み出して、俺に背を向けた。背の高い彼がそうすると、俺のところからは、セーブルの姿がまったく見えなくなった。
「今日は、わたしではなくヒソクに会いにいらしたのですか。術師に目のないセーブル様らしいふるまいですね」
 静かだが、よく通る声でギルは言った。
「適当な理由をつけて、わたしの宮殿を訪れ、ヒソクに会おうと画策するとは、ずいぶんと強引な手段のように思えますが? その執着を、アジュール王が耳にしたら、それこそ不快に思われるのではないでしょうか」
「今日は、貴方の見舞いにきたと申し上げたでしょう」
「本当におっしゃるとおりでしょうか? セーブル様ご自慢の、術師の力をもってすれば、ヒソクの居場所などすぐにわかってしまうのではないですか。まして王宮の中であれば、術師の力など使わなくとも、他にも知る方法はいくらでもあります」
「私が赤の宮殿に、間諜を送ったと言いたいのですか?」
「カーマインに会いに、日参していらした方から、そのようなありきたりの言い分を聞くとは思いませんでした。カーマインにすり寄られていたのを、わたしが不快に思わないとでもお思いでしたか」
「いいでしょう」
 セーブルはゆったりと言った。
「今日のところはこれで引きましょう。貴方のそういう顔は、めったに見られるものではない。嫌いではないですよ」
 そう言って、ギルから身を引いた。
「けれど、やはり『星見のヒソク』には気をつけたほうがいいようですね。おだやかな貴方が気色ばむほど入れこんでいる。術師というのは、使いこなしていくらの者ばかりです。逆にあやしい術で惑わされぬよう、御身にお気をつけなさい」
 セーブルが去ってしまうと、ギルはようやく、俺に向き直った。それから、ひざをかかえるようにその場にかがんだ。
 ギルはためらいなく両手を広げた。
「おいで」
 猫にするように呼ばれて、俺はぼろぼろと涙をこぼした。首を横にふって、あとずさった。
 バーガンディーが、「シャー」と呼びかけた。
「セーブル様のおっしゃるとおりです。青の星見に心を砕かれることが、どれほどの危険かおわかりでしょう。青の王の仕掛けた罠ではないとも、言いきれません」
「ヒソクから話を聞くだけだ。このまま返しては、バーガンディーも心配だろう」
「シャー」
 とがめるような響きに、ギルは眉尻を下げて、バーガンディーを見つめ返した。
「すまない、これだけは譲れない。長く仕えてくれているおまえのためにも、無謀なことはしないと約束するよ」
 そう言うと、ギルは身軽に廊下から飛び降りた。
 動けなくなっていた俺を、猫のようにかんたんに抱き上げ、その場から連れ去った。
 行きついた先は、はじめて会った時と同じ場所だった。木々に囲まれたそこは明るい光が差し込んでいて、色とりどりの花が咲いていた。
 ギルは俺を肩から降ろすと、城壁に背中をもたれて、ずるずるとしゃがみこんだ。
 俺は立ちつくしたままだった。
 頭の中の大事な部分が壊れてしまったようだった。涙が止まらないし、止めようという気力すら少しもわいてこない。
 王宮にやってきてから、胸に降り積っていた疲れとかなしみが、今さらのように押し寄せて、胸をぎりぎりとしめあげた。
「ヒソク、おいで」
 ギルは小さな声で言った。
 俺はその場に崩れた。
「無理です。俺はもう、あなたにふれることはできません。なにかしてくださるのなら、優しいことをおっしゃらないで、俺を殺してください」
 腕を引かれて、よろけるようにギルの胸に倒れこんだ。
 ぎゅっと抱きしめられて、その腕のあたたかさに、空っぽになっていた心がふるえた。
「宮殿はつらいか」
 俺は、返事ができなかった。こうしてギルと一緒にいれば、王宮も悪くないところだったように思えるのが、とても不思議だった。
 目を閉じる。ヒソクと見た、最後の星空がまぶたに浮かんだ。
 こんなにも苦しい思いをするくらいなら、まぶしい星たちに見守られたあの夜、俺は妹を殺して死ぬべきだったのかもしれない。

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