5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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「俺だって、本くらい読みます」
 本当はルリから聞いた話だったが、少し得意になってそう答えた。
「本当に変わった子だな」
「子ども子どもとおっしゃいますけれど、俺はもう14です。そんなに違わないと思いますよ」
「14? では、俺と5つしか違わないのか。もっと幼く見えるな」
「俺がチビだからでしょう」
 ふてくされてそう答えれば、赤の王はまた、ふわりとほほえんだ。
 そっとほおをさわられる。驚いたが、さっき俺も似たようなことを王にしたのを思い出したので、されるままになっていた。
 中指にはめられた指輪から、ひじにかけて白い布で覆われていて、手の甲にしるされているはずの、赤いティンクチャーの存在を隠していた。
 はじめて調理場で会った時も、これをしていたことを思い出した。
「じゃあ、子どもと呼ぶのはやめよう。名はなんというんだ?」
 俺は迷った挙句に「ヒソクです」と答えた。
 青の星見の名は耳には届いていないのか、赤の王は「ヒソクか」と、くちの中で繰り返した。
「ヒソク、本当はビレットのことも、俺の手柄ではないんだ。ヴェア・アンプワントを吸収して、銀が豊富に持てるようになったから、南方で取れる銀を他国に輸出することが許された。アジュール様の計らいだよ」
「青の王の?」
「ヴェア・アンプワントを手に入れたのはアジュール様の功績だし、輸出入に許可を出せるのも、パーディシャーだけなんだ。貨幣価値にもかかわってくるから、俺の一存では決められなかった」
「かへいかち?」
「そうして、舌っ足らずにしゃべっていると、小さな子どものようなのに、王宮の歴史に詳しいなんて、やっぱり変わっている」
 笑いながら言われて、少し悔しくなった。今夜からは、きちんと本を読もう。
「銀の輸出の件は、青の王のおかげかもしれませんけれど、でも、輸入した鉄の使い道を決めたのは、赤の王なのでしょう? 鉄は武器にも甲冑にもなるのに、農機具を作ることにされたのですよね」
「そうだな。自衛手段をみすみす失うと叱られた」
「けれど、農業はさらに発展しました。飢える者がいないのは、すごいことだと思います。俺が西方に住んでいた頃にも、お金がたまったら、南方に移り住みたいと言う人はたくさんいましたよ。彼らにとっては憧れの土地なんです」
「西方に?」
 眠りに落ちそうだった赤の王が、はじかれたように身体を起こしたので、俺はびくりとした。
 痛いくらいに肩をつかまれた。
「西方に残してきた家族は、無事なのか? 妹がいると言っていただろう」
 俺はいきおいに気圧されて、上ずった声で「だ、大丈夫です」と答えた。
「妹はもう西方には住んでいないし、他に家族はいません」
 そう答えてもまだ、赤の王はさぐるように、俺の目の中をのぞきこんだ。
 間近で見つめると、薄い色のまつげは生え際だけ色が濃く、茶に近い赤だった。
 髪も同じように、根元だけが濃い色になっていて、彼は赤毛の人種なのだと、俺はその時にはじめて気がついた。
 ヒソクを連れだしてくれた男のひとりが完全な赤毛で、髪全体が赤い者と、根元だけが赤く染まった者とがいると教えてくれた。
 ふわりと肩に重みがかかった。くったりと寄りかかってきた身体を抱きとめると、くったりとした身体は熱かった。
 赤の王は、胸にためていたものを吐き出すように、深いため息をついた。
「あの、熱があるのではないですか?」
「大丈夫だ。少しこのままでいてくれないか」
 俺は困ってしまって、そろそろと背中をなでた。広い背中は、服ごしでもわかるほど骨ばっていた。
 俺はやっぱり、「食事をとったほうがいいですよ」と言ってしまうのだった。
 ハクの言いたかったことが、今になってわかった。見守る親のような気持ちが実感できた。
「赤の方は、民に慕われていると聞きました。はっきりした功績なんかなくたって、ときどきは、ご自分の努力を認めてもいいのではないのですか。見返りがないと、ずっと頑張り続けることはむずかしいでしょう」
「見返り?」
「南方の民が今日も平和であれば、じゅうぶんなお仕事をされていると思います。当たり前だって思わずに受け取ることが、見返りになるんじゃないですか」
「見返りはもう、なくてもいいんだ」
 子どものような澄んだ声だった。
「それは、王に選ばれた時に、過ぎるほどにもらった。あとは一生をかけて返すだけだよ」
「あなたは、王になどなりたくなかったのに」
 俺は責めるようにくちにした。赤の王でない、なにか大きなものに対して、怒りがわいた。あらがえない、大きなものだ。
「君がさびしいのは、妹と離れて暮らしているからなのか」
 静かな反撃にびくりとした。今さら取り繕うこともできずに、「はい」と答えた。
 さびしさを認めてしまえば、会いたい気持ちだけで、胸が埋め尽くされてしまう。ヒソクに会いたくて、涙がこぼれそうになった。
 赤の王は、かわいそうだともわかるともくちにしなかったけれど、俺の肩にぴったりと頭をつけて、そこをあたためていた。
 高価なものも、美しい人も、あふれている王宮で、こんなにもさびしくなるのが、俺ひとりではなかった。それを知って、俺の気持ちは癒された。
 にゃあと、か細い声が聞こえた。
 生い茂る葉の中から、猫が顔をのぞかせていた。まだほんの小さな猫で、器用に前足をなめた。
「なんだ、そこにいたのか」
 赤の王が言った。
「あなたの猫ですか?」
「いや、カーマのだ。子猫が一匹いなくなったと騒いでいたから、もしかしてと思っていたが、見に来て良かった。こんなところでは食べるものもないだろう。無事でいてくれて良かった」
 赤の王はそっと猫に近づくと、胸に抱き上げた。
 猫は腕の中で安心したように、にゃあと鳴いた。うらやましいと思いながらながめていると、赤の王は「さわってみる?」と言った。
「いいんですか? でも、抱いたことがないから……嫌がられないでしょうか」
「手を出して」
 てっきり、手の中に猫を置いてくれるのかと思ったら、手首をつかまれて腕を引かれた。俺はよろめきながら立ち上がった。
 赤の王は俺の服についた草を、片手で払った。子どもにする仕草は、王がするようなことではなかったから、俺はあわてた。
 やわらかいかたまりを手渡されるとほんのりと温かくて、夜露にぬれていた毛はしっとりしている。
「かわいい。俺、猫を抱くのは、はじめてです」
「ああ、そういえば、青の宮殿では動物は飼っていないのだっけ」
「え?」
「はじめて会ったとき、空色の服を着ていたけど、青の侍従じゃなかった? この庭園は青の宮殿と地続きになっているし、あちらから来たのかと思っていた」
 そう言って、青の宮殿の方角を指さした。
 どうしてだか、さっき来た道の先が、寒々しく感じられた。俺はこれからそこへ戻らなくてはいけないのに、胸が苦しくなった。
 胸の中の小さな猫を、そっと赤の王に返した。
「俺、そろそろ帰ります」
「それなら、兵に話をつけるからついておいで。夜は兵が多いから、白い服じゃ見つかるかもしれない」
「大丈夫です。そのために、黒っぽいローブも持ってきましたから」
 濃紺のローブを服の下から引っ張り出した。
「準備万端だな」
「来た道を帰ればいいだけです。心配しないでください。俺が赤の宮殿に忍び込んだことがわかったら、ギュールズ様にもご迷惑がかかるでしょう」
「ギルでいい。親しい者はみなそう呼ぶ」
 え、と首をかしげた。
 それではまるで、また会うことがあるかのようだった。
 赤の王はおだやかにほほえんで、「おやすみヒソク。また、猫に会いにおいで」と言った。


 翌日、調理場にやって来た赤い服を着た侍女に、ついてくるように告げられた。俺は盆を持って、彼女のあとについて歩いた。
 案内された先で待っていたのは、バーガンディーだった。勝手に忍び込んだことを怒られるのかと思って、汗だくになった。
 バーガンディーは、俺をじろりと見た。
「まだ子どもではないか。本当に調理人なのか」と、侍女に尋ねた。
「ヒソクという名の調理人は、この者しかおりません、以前にシャーにお出しした料理も、この者が用意したと、ハクが申しておりました」
 侍女は答えた。バーガンディーは盆に並べられた食事をながめた。
「これを用意したのもおまえか」
 俺は頭を下げて、「はい」と答えた。
「赤の宮殿で目にしたことは、他言しないと誓えるか」
 威圧的な声音にこくりとうなずくと、バーガンディーは続けた。
「おまえはめずらしい料理を作るという話だ。シャーは、おまえの作るものなら食べてみたいとおっしゃっている。料理にまつわる話を聞きたいのだそうだ。しばらくは料理を持ってここへ通うように。シャーが回復するまでは、赤の宮殿に入ることを許可する」
 俺はぽかんとした。バーガンディーは、「シャーの前では失礼のないようにするのだぞ」と念を押した。
 招かれて王の部屋に入ると、赤の王は寝台に身体を起こして、うれしそうに俺を見た。
「ヒソク」
 呼びかけられただけで、顔が熱くなった。俺はどうしてか、彼をまともに見ることができなかった。

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