5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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「でも、寝込んでいる時は好きなものを食べてもらうのが、一番の特効薬ですよ。赤の王のご容体もわからないのですから……」
 言いかけて、俺は気づいた。あわててハクの腕を引いた。
「聞いてください!」
「な、何ですか急に」
「わかったんです、赤の王の容体を知る方法! 病気について聞かないと、どんな食事を作ったらいいかわからないと言えばいいんです。固いものは飲み込めるのかとか、貧血じゃないのかとか、いろいろ聞きだすこともできるでしょう!?」
 ハクはぽかんとくちをひらいた。
「姫さん……あんた、突拍子もないこと言いだしますね」
「これならバーガンディー様だって、答えなきゃいけないと思うのではありませんか?」
 ハクの目がわずかに輝いたが、「いや」と首を横にふった。
「そもそも、バーガンディー様の部屋まで、取り次いでもらえませんよ。かといって、侍従に王の病気について尋ねても、教えてはいけないことになっているでしょう」
「あ、そうなんですか」
 俺はうなだれた。ハクは俺を気の毒がって、とりなすように言った。
「姫さん、この間作ってらした米のスープの作りかた、教えてもらえませんかね」
「粥ですか?」
 俺は米と棒を用意して、ハクに説明した。
「棒で押すと米の殻が取れるので、白い部分だけを使います。このあいだは干し肉で出汁を取りましたが、甘くした牛の乳で煮ても、食べやすいかもしれません。一度だけしか食べたことがないのですが、作ってみましょうか」
「一度だけ?」と、ハクは驚いた。
「姫さんは勉強熱心ですね。一度食べたものなんて、あたしならすぐに忘れちまいますよ」
「俺なんか全然ダメです」
 首をふった。
「文字も読めないし、かといって力もなくて、荷運びとしても役に立たないって、よく言われていました。それなのに、余計なことばかり尋ねるから、世話になっていた家でも迷惑がられていたんです」
 つい愚痴になってしまうと、ハクは困ったように俺を見た。
「すみません、へんな話をしてしまって」と、あわてて手をふった。
「文字はこれから覚えるつもりです。料理だって、誰かのためになるなら、もっと色々作れるようになりたい。俺にできることを、がんばるしかないですよね」
「姫さんは、どことなくギル様に似ていらっしゃる。あの方も時折、子どもらしくない、志の高いことをくちにしました」
「こころざし?」
「ええ。ギル様が王宮から逃げ出すのをあきらめた頃、あたしはあの子が可哀そうで、励ましたものです」
 ハクはにこりとした。
「けれど、あの方は、もう逃げないっておっしゃった。民を守れる王になるために、自分にできることをすると。子どもの言うことじゃないって、あたしはぽかんとしてしまったものですけどね。今は本当に、その責務を果たそうとされている」
 どうしてか、少しさびしそうにそう言った。
 その日、赤の王に出した粥は、手付かずで戻された。
 気にいらなかったのかと赤の侍従に尋ねたが、侍従は質問には答えず、明日も食事を頼むと言い残して、調理場を去った。
 翌日からも、同じことが続いた。食事が食べられないほど、病状が重いのかもしれない。
 ハクは焦って赤の侍従に容体を尋ねたが、答えをもらえることはなく、日に日に憔悴していった。


 青の宮殿と赤の宮殿の境には、やはり兵が見張っていた。俺は廊下から行くことはあきらめ、庭園に回った。
 庭園にはたくさんの常緑樹が植わっていて、小柄な俺を隠してくれた。兵のひとりが庭に目をやったが、なにも見つけられなかったようですぐに視線を廊下に戻した。
 俺は濃紺のフードをかぶり、闇にまぎれた。音をたてないように気をつけて、赤の宮殿までの道を急いだ。
 見張りの兵が途切れたのを見計らって、俺は建物に近づいた。食事の匂いと、楽しげな声が聞こえてきたけれど、廊下には誰もいなかった。
 フードのついたローブを脱いで、服の下に隠した。ローブの下にはあらかじめ白い服を着ていた。
 首の前に止め具がついているので、青いティンクチャーも隠すことができる。白の侍従に見えますようにと祈りながら、大きく息を吸い込んだ。
 何食わぬ顔で、赤の宮殿を歩きだした。
 見つかったら、ただでは済まないだろう。けれど、赤の王の容体を確かめるには、これしかなかった。
「ねえ、あなた」
 声をかけられた。
 赤い服を着た女たちが立っていて、俺はあわてて頭を下げた。
「調理場へ行って、部屋にサジーを届けるように伝えてちょうだい」
 サジーは高山で生る果物だ。調理場でも希少とされて、厳しく管理されている。
 けれど、はなから願いを叶える気のない俺は、「かしこまりました」と引き受けた。
 じっとして、彼女たちが通りすぎるのを待った。しかし、ひとりが俺のあごに手を添えた。そっと、顔を持ち上げられる。
「あなた、男なの? まだ子どもみたいに見えるけど」
 彼女のほうこそ、まだ子どものようだった。腰まである栗色の巻き髪と、青い瞳がまぶしい。大きく胸元が開いていて、白い肌には赤い羽のティンクチャーがあった。
「ふうん、男の子にしては、ずいぶん可愛い顔をしているのね。緑の瞳も、宝石みたいでとってもすてきよ」
「赤の姫、おたわむれはよしてください」
 上ずった声で頼む。彼女はふわりと笑みを浮かべた。
「いいじゃない。ねえ、あなたもハリームで一緒にお酒を飲まない? 白の侍従の身分じゃ、そんなこと一生叶わないでしょう。きっと楽しいわよ」
 身の置き場がなくなって、俺はうつむいた。青の宮殿の侍女たちは歳上の者ばかりで、こんなふうに奔放な物言いをする者はいなかったので、どうしていいかわからなかった。
「もしかして、怒られることを心配しているの? だぁいじょうぶ。ギル様はしばらく、部屋にこもりきりよ。女にご用はないってわけ」
「……あの、ギュールズ王はご病気なのでしょうか?」
「そういう話はね、あんまり聞かされないわ。側近に聞いても教えてくれない。今夜だって、宴会なんかでお茶をにごされてしまった。側女なんてどうせ、見下されているのよ」
 背後にいた女が、「カーマイン様、くちが過ぎるのではないですか」と、彼女をたしなめた。
 カーマインと呼ばれた少女はくらりと首をかしげて、さびしげな表情を浮かべた。
 けれどすぐにまた楽しげに、「ねえ、あなた、シャトランジを知っている? とっても面白いのよ。いらっしゃい」と、俺を誘った。
「申し訳ありません。失礼して、サジーをご用意してまいります」
 頭を下げれば、カーマインは、「そう」とくちをとがらせた。
「ずいぶん真面目な侍従みたいね。つまんない」
 俺を軽くにらんだ。会釈して立ち去ろうとしたが、「待って」と、呼びとめられた。
 カーマインは、青い目をすうっと細めた。
「あなた、ずいぶん不思議な気配。本当に白の侍従かしら?」
 光彩の大きな瞳が、急激に青味を増した。闇に近い、藍色に染まっていく。まるで青の王に見つめられた時のように、寒気がはしった。
「ここではみな、わたしを『赤の姫』なんて呼ばないわ。あなた、カーマインと聞いても、なにも思いあたらないのでしょう。もしかして、黒の宮殿からもぐりこんだ、ネズミ?」
「わ、わたしは先週、ここに下働きとして遣わされました。不慣れなせいで、不敬があったのなら、どうぞお許しください」
 俺は床にしゃがみこんで、手をついた。カーマインは俺を見下ろし、「そんなに怯えなくてもいいじゃない」と言った。
 遊びに飽きたように、ふいっと俺の前を通り過ぎた。その後ろを、他の女たちが付き人のように歩いて通り過ぎた。
 最後の女が、俺のかたわらにひざをついた。
「ここで働くなら、あの方を姫なんて呼んだらだめよ」と、こそりと、ささやかれる。
「カーマ様は、赤の姫の中で一番、王のご寵愛を受けているの。それに、並みの術師よりも強い力をお持ちだから、不興を買ったら、どうなるかわからないわよ」
 カーマインを、恐れているかのようなくちぶりだった。
 ぴり、と鋭い視線を感じて、目をやった。廊下の先で、さきほどの集団が立ち止まっていた。
 暗かったので顔など見えなかったが、きっとカーマインが見ているのだろうと思って、ぞっとした。


 赤の宮殿の庭園には、背の高い樹が多く、俺は警備兵に見つからないように、木立の後ろに隠れ、しゃがみこんだ。
 緊張が少しだけほどける。
 カーマインとの出会いにあてられて、すっかりやる気を失っていた。勢いだけでノコノコと忍び込んだ自分が、ひどく愚かに思えた。
 暗闇の中で、ころりと寝転び、夜空を見上げる。
 星が幾度もまたたいた。遠くから聞こえてくる話し声も、草木に吸い込まれて、この世界にひとりきりのような気分になる。
「ズベン・エス・カマリ」
 呪文のような名前を唱えて、その星を探す。
 緑色の星を、ヒソクも見ているだろうか?
 西方からは逃げるように頼んでいたので、青の軍との争いに巻き込まれることはないだろうが、不安で胸が苦しくなった。
 放浪の身では、色々、つらいことがあるだろう。ご飯はちゃんと食べれているのだろうか。固い肉が苦手だったけれど、好き嫌いしていないといい。
 甘えたな妹がわがままを言って、一緒に逃げてくれた男たちの、足手まといになってしまわなければいいけれどと、心配になった。
 手を離したのは正解だったのか。あの夜、離れてもいいのか何百回と考えたけれど、今、隣に妹がいないのなら、すべてが間違っているような気がした。


 ひたいにふれる妹の指は、優しく俺を起こそうとした。
 まだもう少しだけ寝ていたかったから、俺はいつもみたいにヒソク、と呼びかけた。
 おまえと離れてしまう夢を見たよ。

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