5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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 青の王も気づいて、身体を起こそうとしたルリに、「横になっていろ」と、言った。
「シャー、このようなところで、なにをなさっているのです」
「声を出すな、傷にさわる。おまえの顔を見にきただけだ。私はすぐに立ち去るから、よく寝て、早く傷を癒せ」
 そう言って、ルリの顔にてのひらを押しあてた。
 またすぐに彼女が眠ってしまうと、部屋はふたたび静かになって、俺はひそめていた息をそっと吐きだした。
「ヒソク、こちらへ来い」
 廊下に出た青の王は、俺をふり向いた。話し声でルリを起こしてしまわないための配慮なのだろう。俺はあとを追って、廊下に出た。
 いつの間にか、廊下には火が灯され、ちりちりと松明の焼ける、小さな音がしていた。
「ルリの様子はどうだ」
「今日は少し食事を召し上がりました。のどが痛むようですので、噛まずに飲みこめるものがいいかと思います」
「そうか。調理場に伝えておく」
 ルリが心配なのか、ちらりと部屋をふり向いた。
「あの、シャー。俺がルリ様の食事を用意してもいいですか?」
「おまえが?」
「妹が幼かった頃、歯がはえるまえの子どもでも食べられるように、すり下ろした食事を作ったことがあります。のどが痛いなら、ちょうどいいと思うのですが」
 青の王はじっと俺を見下ろした。
 目をそらさずに見返すと、「わかった」と返事があった。
「やってみろ。ただし、ルリになにを食べさせたらいいか、医師と相談してから決めるようにしろ」
「はい!」
「かわった子どもだな。そんなに人の世話が楽しいか。それとも、ルリの怪我の責任を負いたいだけか」
 そのどちらかなのか、それともまったく別の感情なのか俺にもわからなかった。
「あの、シャーはもうお休みになるところですか」
「どういう意味だ?」
「先ほどの、星の話を教えてもらえませんか。どうして、双子座には人の名前がついているのでしょう。本には載っていないので知りたいのです」
 青の王はひとつまばたきをして、それからふいに暗い目をした。
 光の加減なのか、青色の目がずいぶんと深みをまして、彼の着る服のような濃い藍色に変わったように見えた。
「シェブロンとは別の国の神話だ」
 青の王は話しだした。
「星座の由来となった、カストルとポルクスは神の子どもだ。ポルクスは弟で、神の血を引いており不死だったが、兄のカストルは人としての力しか持たなかった。兄はいずれ死ぬ運命にあった」
「神の子どもでも、違いはあるのでしょうか」
 青の王は「そうだ」と言って、視線を本からそらした。
「神の力を持つ弟は、自分の不死性を兄にわけ与えた。1年の半分は神として天の上で過ごし、残りの半分は、地上で人間として暮らした」
 いい話のように聞こえたが、どうにも空気が暗かった。
「シャーは星が好きなのですか?」
 本も見ずに暗唱できるのなら、そうなのだろうと思った。
「星の話なら、シアンに聞いた。あれは近衛兵などよりも、学者として生きるほうが性にあっている。星の話は気にいりで、始めると止まらなかった」
「どの星にも、そういう話があるのですか?」
「残念だが、これしか覚えていない。ほかはルリが元気になったら聞くといい。ルリもシアンのうんちくの被害者だったから、まだ覚えているだろう」
 不意に、調理場で聞いた話を思い出した。子どもの頃からの付き合いであるのなら、もう十年以上は経つのだろう。ルリに対する態度は、ひどく優しげに見えた。
 けれど、ルリには青いティンクチャーがない。自ら様子を見にくるほど目をかけているのに、所有印がないのは不思議だった。
「シャーにも、神の血が流れているのですよね。死なないということですか」
「今さら、なにを寝ぼけたことを言っている。ヴァートが死ぬのを、その目で見ただろう。これはオーア以外の神の話だ」
「あ、そうか」
 俺はさっき読んだ本のことすら忘れていた。王が死んだらティンクチャーが消えて、次の王にあらわれると書いてあった。
「緑の方が亡くなったら、緑のティンクチャーは、彼の子どもに受け継がれるのですか?」
「子ども?」
 青の王は驚いたようだった。
「ヴァートに子どもはいない。シアンに渡された本を読んでいないのか」
「……すみません」
「オーアの血が流れているという条件さえ満たせば、誰にでも王を継ぐ可能性がある。前王が亡くなると、次の王にティンクチャーがあらわれ、その者は王宮に迎え入れられる」
 俺がうなずくと、青の王は続けた。
「ヴァートが死んでもう7日経つ。名乗りを上げる者がいないので、兵に捜索させているところだ。まったく、あのじじいは死んでからも迷惑をかける」
 死んだ責任が、別の誰かにあるかのようなくちぶりだった。
 あの陰惨な場面とちっともそぐわない言い方に、ふっとおかしさがこみあげた。
「おまえの妹はなにができる?」
 俺はハッとして青の王を見つめ返した。
「そんなことを聞いて、どうするのですか」
「ヒソクの能力に興味がある。辺境のうわさが王宮にまで伝わるほどだ。よほどの力なのだろう」
「……約束していただいたはずです。俺がヒソクのふりをすれば、妹を探さずに、そっとしておいてくださると」
 おそるおそるくちにすれば、青の王は、少しも心をひかれない様子で答えた。
「王は民と約束事などしない。王の意志は、王だけが決められるということを忘れるな」
 挑発にはのりたくないが、妹の名前を出されれば、俺はいつだって取り乱してしまうのを抑えられなかった。
「お願いします。これから王宮についても、星についてもたくさん勉強します。シャーが望むことはなんでもしますから、妹のことだけはお許しください」
「では、星見として完璧にふるまえ。おまえがヒソクだと周囲に思いこませられれば、どこかにいる本物のことになど、誰も思いあたるまい」
「え」
 意味がよくわからなくて、まばたきをした。
 ヒソクのふりをする、それがまるで、青の王のためではなく、ヒソクをかばうためだというふうに聞こえた。
「冗談だ。おまえのためだとでも思ったか」
 そう言われて、期待をこめた目で見てしまった自分を恥じた。
「おまえは、うなだれているほうが可愛げがある」
 青の王はそう言ってひそやかに笑みをこぼした。反応を見て面白がっているようだったので、またからかわれているのだろうと思った。
「星見とは、まじないの力ではない。天体の動きについて知識を持ち、過去と照らし合わせて、変化を読み解くことができる能力だ」
 青の王は言った。
「赤い星が1年でひときわ輝く季節に、川が増水すると予見した。のちに、川の氾濫期と、星の昇る時期が重なっただけだとわかったが、赤い星に気づいた者は星見と呼ばれた。その者は、さらに過去の記録を調べ、1年の正確な日数を割りだし新しい暦を作った。これは今の農業に、欠かせないものとなった」
「……本を読めば、俺も星見のようになれるかもしれないということですか」
「本を読み、夜空を観察しなければ、赤い星には気づかなかっただろうと言っている。ヒソク、ファウンテンの入口に描かれていたのは、どれだかわかるか?」
 急な質問に、俺は戸惑った。本を開いて分厚い紙をめくった。その中から、探していたものを見つける。
 はかりの絵だ。
「ファウンテンの扉には、これと同じものが彫られていました。せいぎをはかる、てんびん?」
 そこに書かれた文字を読んでいると、「あれだ」と青の王は言った。
 ゆったりと空を指さす。俺はつられて、真っ暗な空を見上げた。
「てんびん座は、あまり目立たない4つの星だ。今夜は空気が澄んでいるから綺麗に見えるな。4つのうちでも一番あかるい星が、ズベン・エス・カマリ。おまえの目と同じ、緑色の星だ」
「……いつもそういうことを言って、女の人を口説くんですか」
 青の王はふいに、笑顔になった。
 それは優しいものじゃなくて獲物を見つけたような笑みだった。
 一気に背筋が冷えてあとずさった。頭を壁に押し付けられ、いきおいで手から本が滑り落ちて足にあたった。
「い……っ」
 叫びかけたくちをふさがれた。強引にねじこまれた舌が、歯をなぞった。
 ねっとりした感覚は、腹の中を犯されているような心地に近い。鳥肌が立った。
 壁に押し付けられると、逃げることもかなわなくなる。身長差のせいでほぼ真上を見上げる格好になって、わずかなすき間にあえいだ。
「す、すみません」
 不興を買ったに違いない。
 青の王は、俺の言葉など聞こえなかったように、くちを貪ることを続けた。熱い息はやはり酒の香りがした。
「目をつぶるなよ」と、低い声でささやかれる。
 間をあけずに眼球をなめられて、まわりの薄い皮ふまで、舌でたしかめられる。
 ひっとのどが鳴った。生理的な嫌悪がわきあがったが、のどを強くしめあげられれば、目をつむることもできなかった。
 遊ばれる目からは、無意識の涙がぱたぱたとこぼれた。それを、青の王は甘い酒のように、なめとった。
 また、ひざで下腹部を刺激される。抵抗しようと、脚を閉じかけたが、下腹部を押し付けられて、興奮をさそうやり方をされたら、足に力が入らなくなった。
「は、あっ」
 またくちびるをふさがれて、俺はすがりつきそうになった。青の王は、俺を離した。

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