5人の王(恵庭/ill.絵歩)公式サイト@ダリアカフェ

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「あのう」
 また声をかけると、彼はまだいたのかと言わんばかりの顔でふり返った。負けてしまいそうで、少しばかり声に張りをつけた。
「調理場を借りてもいいですか? それから、氷をください。汚れているものでもかまいません。牛の乳と蜜も少し」
「氷を使うのに食べないんですか」
「はい、冷やすのに使うだけです」
「はあ?」と、男は頭をかいた。
「とにかく、食事の支度は、あたくしどもが行います。早く宮殿にお戻りになったほうがいいですよ。こんなところにいるのが知れたら、怒られてしまいますから」
 はは、と乾いた笑いを浮かべた男に、「誰に怒られるのですか?」と尋ねる。
「え? 誰ってそりゃアジュール王にですよ。あなたは青の姫ですよね」
「姫? 俺、女に見えますか」
 首をかしげて、平らな胸をさわった。
「ああ、いや、男性でもティンクチャーのある方のことを、われわれは姫と呼ぶんですよ。もっとも、調理場なんかに姫が出入りすることなどほとんどないですけどね」
 だからさっさと帰れと言わんばかりだった。
「そういえば、青の姫とすれ違うことがあまりないのですけれど、どうしてかご存じですか?」
「いやあ、そう言われても、あたしには宮殿内のことはわからないですよ。青の宮殿にお住まいなら、あたしなんかよりもご存じなんじゃないですか」
「俺はまだ、ここに来て日が浅いんです」
 俺は首を横にふった。宮殿の事情にもくわしくなかった。
「……うわさですから、あたしから聞いたなんて言わないでくださいよ」
 うわさ話は嫌いじゃないのか、調理人は声をひそめた。
「ほらルリ様がいらっしゃるからじゃないんですか? アジュール王とルリ様は、幼いころから恋を誓われた仲だとか。そんなお方がそばにいれば、側女がうろうろするのも気を使うんじゃ……」
 言いかけてから、俺が側女のひとりだと気づいたのだろう。彼は失言に顔をしかめた。
 困惑を顔に浮かべた男は、氷ならそこの木箱ですよと言った。
「使いすぎないように気をつけてくださいよ。気温の高い国じゃ、氷はずいぶんと高価なんです」
「わかりました。ありがとうございます」
「それと、その恰好ですけど」
「え?」
「ここにいるなら、ティンクチャーが見えないように気を遣ってもらえませんかね。若い者もいますし、あたしらには目に毒です」と、まわりを気にする仕草をみせた。
 つられて調理場を見まわすと、何人かの男が慌てたように目をそらした。俺は調理人が着ているのと同じ白い上着を借りて、胸元が隠れるようにきっちりと着込んだ。
 ゆるゆるした袖を、ずり落ちてこないようにしばる。水桶で手をしっかりと洗って、ナツメヤシの果実を細かく刻んだ。
 それから、調理器具をおさめた木製の籠から、目当てのものを探しあてた。大きさの違う、金属製の筒がふたつ。
 細い筒に、乳と蜜を少しだけ入れてふたをした。それを大きい筒に入れて、すき間に砕いた氷と塩を敷き詰める。大きい筒にふたをして、冷え切った筒を大きな布で包んだ。くちをしばり、中身をこぼさないように何度も横にふった。
 しばらくして液体の手ごたえがなくなってきたので、こんなものかなと思って筒をあけてみた。
「あの」
 不意に声をかけられた。先ほどの調理人かと思えば、興味深そうに俺を見ているのは、見知らぬ若い男だった。
「なんでしょうか」
「さっきから見ていたら、なにをしているんです? 筒なんかふって」
「アイスクリームを作っています」
 若い男は頭を白のターバンで覆っていて、少しだけはみ出したはねた茶色の髪と同じ色の瞳を丸くした。
「アイスクリーム? これをふったら、その料理ができるということ?」
 俺の持っていた筒を見おろす。
「筒に氷を入れ、塩でさらに氷の温度を下げて、牛の乳を冷やして固めているんです」
「へえ、はじめて聞く料理だ。話が聞こえてしまったけど、それって病気に効く薬にもなるのかな」
「薬ではありません。お菓子です」
「菓子?」
「牛の乳は栄養があるし、今日はひどく蒸すので、冷たいもののほうがのどを通りそうでしょう」
「はあ、なるほど」
 感心した声を上げ、彼は子どものような物ほしげな顔になって、「ひとくちもらえませんか?」と言った。
 ヒソクが、よくそういう顔をしていたのを思い出して、俺は少しおかしかった。
「少しだったら、どうぞ」
 スプーンで、筒の内側についたアイスクリームをすくいとる。ちゃんと液体ではなくなっていたので満足した。
「へえ、すごく美味しい。冷たいけど氷の感触でもないし、どうなってるんだろう」
 心からびっくりしているようで、彼の素直な口調に、久しぶりに人と会話をした気がした。
「ときどき、氷が手に入った時に、妹にこれを作ってやったんです。かなり温度が下がるから、作る時は筒のまわりを布で覆うといいですよ。手の温度で溶けたりもしないし」
 そこまで言って、ふと時間がたっていることに気づいた。
「いけない、早くしないと溶けてしまう」
 あわてて、木の盆にアイスクリームの筒をのせた。
「この花は?」
 彼は赤い花に気づいて、一緒に置いてくれた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ひとくち、ごちそうさま」
「少しでごめんなさい。このお盆、借りていきますね」
 そう言って、調理場をあとにした。来た時とは違って、わくわくしながら廊下を走って、ルリのもとへと急いだ。


 目を覚ましたルリは、ことのほか冷たい菓子を喜んでくれた。いつもより、寝息がラクなように聞こえた。
 ルリのまつげは金色で、同じ色の長い髪が寝台に広がっていて、まるで高貴な姫君のようだった。
 それだけに、肩からのどにかけての、大きな傷あとは痛々しかった。眠る彼女の横に、そっと赤色の花をそえた。
 それからイスに置いてあった本を拾い上げて、腰を下ろした。本に挟んでおいた、乾いた葉を引き抜く。ルリのそばにいる時は、それをながめるのが、最近の日課になっていた。
 国の成り立ちや、王宮でのしきたりなどが書かれた本で、ファウンテンから戻ったあと、シアンに読んでおくように言われたのだ。
 俺は文字を習ったことがないので、本を読めない。ルリの部屋に出入りする侍女に頼んで読み上げてもらったが、簡単な文章でさえ、覚えることはむずかしかった。
 時間をかけて、ゆっくりと読みといていく。
 5人の王が治めるこの国は、シェブロンという。歴史の始まりは、オーアという名の神だ。
 オーアは、シェブロンを統治するため、自らの身体を5つに割き、王を造りだした。
 王の両手には、オーアの姿をかたどったティンクチャーがある。神の血を受け継いだ証で、王の死と同時に消えて、すぐさま、同じティンクチャーを備えた、新しい王が誕生する。
 5人の王は、同時に存在してひとつの神となりえるので、誰かひとりが欠けたままでいることはなかった。
 オーアについての話が終わると、建国からの王の話が載っていた。ぱらぱらめくっただけでも、文字の多さにうんざりした。
「はあ……」
 別の本を手に取った。シアンに頼んで借りた古い本で、手荒く扱えばバラバラになってしまいそうなくらい読み込まれていた。
 丁寧にめくると、点と線であらわされた星図が載っている。その本は、絵がとても多かったし、文字も単語が多くて見やすかった。
 なによりヒソクが好んで見ていた星だと思えば、ながめているだけで、心が安らいだ。
「奴隷の出なのに、字が読めるのか」
 ムッとして顔を上げると、やはりそこには青の王がいた。いつの間にか部屋の外は暗くなっていた。
 俺は立ちあがって礼をした。青の王は、俺が持っていた本を奪い取って、「今さらこんな子ども向けの本で、星見の勉強でもするつもりか」と言った。
「星の名前のひとつもわからない、ではいつボロが出ても、おかしくないでしょう」
 俺は言い返した。
「子どもの頃に、シアンが持ち歩いていた本じゃないか。ずいぶんとなつかしいな。どこまで読み進んだ?」
「……文字はほとんど読めません。この本は、絵が載っているから見やすいですけど」
 くやしくて小さな声でそう言った。また奴隷だからと言われるのも嫌で、「でも」と続けた。
「星の名なら、全部おぼえました」
「これは?」
 からかうつもりなのか、青の王は本を差し出して、最初の星座を指さした。
「これは、おひつじ座です。次がおうし座で、こっちが双子座でしょう。あ、ここにシャーの名前が書き込まれていますよね。アジュールと……」
「双子座には、2つの明るい星があることを知っているか」
 青の王はさえぎった。
「ええと……カストルとポルクスでしょうか」
「そうだ、よく読み込んでいるな。あれは兄弟の星だ」
 思いのほかおだやかな声だったので、意外に思って、俺はくちをつぐんでしまった。
 ふわりと酒の香りがした。酔っているのだろうか。本に視線を落とした白い顔は、平素通りに見えた。それから、平素というほど青の王をじっくり見たことはなかったと、思い返した。
「シャー?」
 ルリが声を上げたので、俺はハッとして寝台をふり返った。

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