短編


   ひかりの日々


 ピンポン、と家のチャイムを鳴らしてから、かずとが「歩和、入るよ」と俺の家の合鍵をつかってなかへ入ってくる。

 重たい身体を起こしてなんとかベッドに腰かけ、立ちあがろうとすると、部屋にきてくれたかずとが「起きなくていいよ」と慌てて俺の肩に手をおいた。

「無理しなくていいから眠ってて」

「でも、せっかくかずとがきてくれたし」

「遊びにきたわけじゃない。看病しにきたんだから横になっていてくれないと困るよ。落ちつくまで一緒にいるから」

「明日も仕事なのに大丈夫……?」

「有休をとった」

「えっ」

「俺の仕事はひき継ぎだけだから。友坂君は俺がいると自分で動こうとしなくなるし、いい機会だ」

 動揺する俺の背中をさすってなだめ、「ちゃんと寝て」と脚も布団に入れなおしながら身体を横たえてくれる。

「……ごめんかずと、ありがとう」

「謝る必要もないよ」

 再び枕に頭をあずけて仰向けに寝ると、かずとは俺の前髪を撫でてにこりと微笑んだ。

「これ持ってきたから念のためつけて」と冷却シートの箱から一枚とって額につけてくれる。うぅ、冷たい。

 かずとはなぜか小さなランチバッグと冷却シートだけ持ってうちにきてくれたようだった。

「歩和からもらったメッセージ見て、急いで会社をでてきたよ」

 そう言うかずとの表情が、俺のようすを知ってちょっとだけ安心してくれたように見える。


 ふたりで伊豆に引っ越してお店を経営していこうと計画し、準備を始めてから一年と数ヶ月。
 現在はお店の内装を整えながら、来年春の移住までの日々を慌ただしく過ごしている。

 かずとは会社で後輩の友坂君の教育を頑張っているし、俺はお料理教室とバイトに加えて卒論もこなしているから結構大変だ。

 なのに風邪をひいて寝こんでしまった。

 頭痛や熱の症状はないものの、身体が怠くて喉の痛みと洟が辛い。

 週末にはまたお祖母ちゃんと会ったあとにお店のディスプレイをしよう、とふたりで小物を買い揃えて楽しみにしていたっていうのに、このままじゃいけるかどうかもわからない。

「今夜しっかり休んで明日には治す。俺、もともと健康体だからさ」

 笑って見せたら、俺を温かな眼差しでしばらく眺めていたかずとが、俺の前髪から手を離していきなり鼻をきゅとつまんできた。

「んが」

「とりあえず夕飯を作るよ。すこし待ってて」

「え、かずとが料理してくれるの見てたい」

「寝てなさい」

「うしろ姿だけでいいからっ」

 鼻で苦笑したかずとが立ちあがって隣のキッチンへ移動する。
 俺は枕を持ってベッドからそっとでると、部屋の中央に設置しているこたつのなかへ入って寝転がった。
 ここならすぐ目の前に、隣室のキッチンに立っているかずとの背中が見える。

 かずとはランチバッグをシンクの横に置いてから、コートとスーツのジャケットを脱いで腕まくりをした。
 白いワイシャツのひろい背中と、逞しい綺麗な両腕、長すぎる脚……今夜もすごく格好いい。

「歩和、冷蔵庫のなかの野菜、すこしつかうね」

「はい……」

「なにかおかずが残ってたりする?」

「あ、えっとー……昨日食べた豆腐のサラダがまだあるかな」

 洟をすすりながら、ついにやける頬をそのままにこたえたら、かずとが冷蔵庫をあけてサラダをだした。

「……すごいサラダだね。ひじきと枝豆とにんじんを木綿豆腐であえてある」

「え、べつにすごくないよ、豆腐崩して混ぜただけだよ」

「出会ったころの歩和にそのセリフを聞かせてあげたいな。驚くほどの成長だ」

「ああー……」

 かずとが俺をふりむいて優しく笑うから、ちょっと照れてしまった。
 ……たしかに昔の俺だったらこの程度の料理もできなかったけれど。

「俺が料理できるようになったのはかずとに会えたからだもん」

 へへ~、と笑っていたら、洟が垂れてきて焦った。ティッシュをとってチンとかむ。

「努力をしたのは歩和だよ」

「努力したいって活力をくれてるのがかずとなんだってば」

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